陽炎の果て




 窓から入り込んだ光で目が覚めた。
 何処だったろうとしばらく考えて、街道町の娼館だと思い出した。追われていて逃げ込んだのだ。
 酷く疲れていたからぐっすり眠り込んでしまったが、無事目覚めたという事は上手く追っ手はまけたと言う事だろうか?あるいはここの主人が上手く 言いくるめてくれたか…。
 まだ安心は出来ないが、取りあえず最悪の事態は回避出来たのだろう。もう少しここで休養を取って、せめて動けるくらいになれば…。 それに追っ手の動向も見極めたかった。ここは狙いから完全にはずれたのか、それともまだはずされていないか。


 外の様子を伺おうと僅かに身体をずらす。だが、そんな小さな動作にも脇腹がずきんと痛んだ。そうだ、脇腹を刺されたのだと思い出した。 しかし、本当に酷いのは腹ではなく右手だった。
 そこで腹も右手も、血止めがされて包帯も新しいのに替えられているのにやっと気付いた。 昨夜の娼妓がしてくれたのだろう。ここに辿り着いた安心感から、泥のように眠ってしまった。手当にすら気付かないとは、 眠ると言うよりは気を失ったという方が正しいかもしれない。
「あら、目が覚めたんですね」
 音を立てずに昨夜の娼妓が入ってきた。手には食事を乗せた盆。 二人分あるようだった。
「お食事をお持ちしました。食べられますか?出来れば、無理にでも食べて頂いた方が…」
「ああ、ありがとな。貰うぜ。 ところで今は何時だ?」
「もうお昼過ぎです。奴らは朝のうちにこの町を出て行きました。安心して」
 ほっと息を吐いた。 しばらくの間だけでも休めるという事だ。
「お腹の傷は大したことはありませんでした。しばらくは痛みますが、すぐに癒えます。そんなに深くもなかったですし。 ただ…その右手は…」
 自分でもよく分かっていた。
 焼け付くような痛みがあったはずなのに、今は痺れて痛みが鈍くなっている。 その分動かし辛い。政宗の雷撃がまとわりついた刀で貫かれたのだ。もう使い物にはならないだろう。
「食べ終わったらもう一度お休み下さい。 まだ顔色が悪いです」
 そう言い終えて娼妓は部屋を後にした。


 この娼館は仲間が営んでいる。元親のように逃げてくる仲間を匿う為にある場所だ。こんな場所が全国に幾つかあるのだ。 とはいえ、ここで働く娼妓達の大半は何も知らない。本当の仲間は店を仕切る一人と僅かな娼妓、それだけだ。下働きの男や女は全く関係がない。

 元親は再び布団に身体を埋めた。まだ動き回れる程回復はしていない。彼女の言う通り、身体を休ませる必要があった。

 横になって思い出すのは政宗の顔だ。
 陣営は分かれたとはいえ、多少の誼みを通じた相手だった。どちらかと言えば、気も合っていたと思う。 気に入っていたと言っていいだろう。そして向こうも同じだと信じていた。
 なのにあの男は、何の躊躇もなく右手を潰し腹を刺した。
 右手を潰したのは碇槍を振るえなくする為、腹を刺したのは動きを制する為。つまり逃亡阻止だ。
 足を折られなかっただけマシだったかも知れない。 上手く逃げおおせたのは奇跡に近い。今頃は地団駄を踏んで悔しがっているに違いない。
 いい気味だと思うと自然と笑いが零れた。






 うとうととしていたらしい。眠っていた身体を乱暴に引っ張られて、痛みで覚醒した。何事だと思う前に、元凶の顔が目の前に迫っていた。
「……っ!」
 言葉が出なかった。
「Hey,残念だったな、元親。せっかく上手く隠れたってのになあ。尤も鬼が隠れんぼなんかするモンじゃねえぜ?」
 そう言って掲げた刀には、べっとりと血の跡があった。はっとする。この血は当然、この娼館で働く者達の物だ。
「政宗、てめえ…!」
「アンタのせいだぜ。アンタが逃げたりしなきゃ、此処の人間は死ぬ事はなかった。アンタを俺から隠したりするから」
 元親は思わず、その胸ぐらを掴む。 むろん動く左手でだ。それを冷静な目で眺めながら、政宗は元親の右手を容赦なく掴んだ。手首ではなく、怪我をした場所をだ。ほんの少し力を込めるだけで、 元親の額に汗が浮かんだ。
 六爪を操る政宗の握力は尋常ではない。今の右手なら楽に握りつぶせるだろう。
「叫んで良いんだぜ元親、痛いんだろう? 手加減してねえからな」
「………」
 意地でも声は上げたくなかった。目の前の男は酷薄な目をしている。こんな目をする男ではなかったのに…。 それとも政宗という人間を自分が理解していなかったのか。
「Ha! 気に入らねえな!覚悟を決めた目をしてやがる」
 ただの意地だが、そんな風に誤解されるのも悪くない。
「おい、連れてこい」
 すると後ろに控えていた男が姿を消した。すぐに廊下が騒がしくなる。先程の政宗の配下が一人の女を連れてきた。手当をしてくれたあの娼妓だった。


「アンタが大人しく戻るなら、この女は殺さねえ。どうする?アンタの返答次第だ」
 ギリっと唇を噛む。
 こんな時元親が何を選ぶかはいつも決まっていた。知っていて政宗は選ばせようと言うのだ。
 はあ、と息を吐いて真っ直ぐに政宗を見る。
「わかった、戻る。戻るからその人を殺すな。離してやってくれよ」
 政宗は満足そうに頷いた。
「OK, いい子だhonry」
 その言葉で彼女は解放された。
 逃げてくれと心の中で叫ぶ。それがわかったのか、彼女は一度だけ心配そうに元親に視線を移し、 すぐにその場から駆け去った。振り返らない背中を見送って、元親はほっと力を抜いた。
「これでいいな?」
「…ああ。ありがとな、政宗」
 つい、いつもの調子で政宗に声を掛けた。政宗は一瞬だけ目に動揺を現したが、すぐに酷薄な表情を貼り付かせた。
「じゃあ今度はアンタの番だ」
 政宗は薄笑いのまま耳元で囁いた。
「アンタが誰の物か、その身体にたっぷりと教えてやる。もう二度と逃げようなんて気にならねえように。な」
 圧迫され続けた右手が熱を持ってきている。鈍い痛みと共に流れ出る血を感じた。元親の身体は既に限界を感じていた。すうっと体温が下がった気がして、 そのまま気を失ってしまった。流れ出た血は部屋を深紅に染めている。
 その血で濡れた手のまま、政宗はようやく取り戻した元親の身体を掻き抱くのだった。



終わり