ほのぼの合唱団です。

ほのぼの合唱団です。



「あの虹に向かって」(詞 長野恵利子)


成人式の喜びと 誓いを胸に覚えてる 
年月流れているけれど 心の中は変わらない
夢が大きく羽ばたいている 
この空を飛びたい
この空を飛びたい

姉さん何ともなかったら 私はぐれていたかもね
そんな言葉をくれる娘に 育ってくれた妹よ
夢を捨てずにどこまでも行け
あの虹に向かって 
あの虹に向かって

互いのいのち分け合って 生まれてきたの人間として
苦労ばっかりかけるけど 見ていておくれこの姿
夢をさがして羽ばたきながら 
この道を歩くよ
この道を歩くよ







1.「ほのぼのコンサート」って何?


「ほのぼのコンサート」は1988年12月、ここ伊勢の地に産声を上げました。「メンバーが作ったオリジナル曲をみんなで歌い、それを通じて障害に関係なくふれあいの輪を広げていく」というのが、活動のおおまかなかたちです。


「耳をすまして」(詞 広早由里)

耳をすましてごらん ほら聞こえるでしょう
明るくやさしく響く みんなの歌声が
友達のいないとき 寂しくなったとき
ここへ来て 仲間と歌ってみませんか  

目を閉じてごらん ほら見えるでしょう
虹の向こうに広がる 大きな青空が
くよくよしているとき 悲しくなったとき
ここへ来て 仲間と歌ってみませんか

発足当初の趣旨は、「障害をもつ人たちに、社会参加の機会を保障しよう」「今日の障害者問題を考えよう」といったものでした。
ですから、舞台から客席に向かって「もっと福祉予算をください」とか「差別や偏見のない世の中にしていきましょう」とかやっていたわけです。発表する歌や台詞も車椅子のメンバーにスポットをあてたものが多かったように思います。
でも、このやり方はまもなく壁にぶつかりました。どこからか「おかしいんじゃない?」という声が聞こえてくるわけです。
私たちが(というより、私が)「障害のない人がある人に何かをしてあげるという、いわば上下関係の図式を、自分たちの舞台で作ってきてしまったのでは」ということに気づいたのは、何年かたってからでした。
それからは、「仲良くしましょう」と呼びかけるのではなく、「自分たちが仲良く歌っているのを見てもらったらいいんだ」という姿勢に変わり、コンサートの内容自体もずいぶんと肩の力を抜いたものになってきたように思います。



「あしたはきっと」(詞 ほのぼの合唱団)

うたは出会い うたはふれあい
うたは友だち 私の友だち
冷たい雨が降り続いても あしたはきっと虹の向こうさ
とどけうたよ あなたのもとへ

うたは灯火 うたは温もり
うたは微笑み あなたの微笑み
私の手からこぼれた種も いつかはきっと芽をふくだろう
とどけうたよ あなたの町へ

ここ近年のスローガンとして「障害なんて関係ない!」というのを使っていますが、実はこれにも問題があります。聴覚に障害をもった方々にどこまで楽しんでもらえることができるか疑問ですし、視覚障害を持った方々のための点字プログラムも用意できていません。
つまり「できもしない、きれいごとを掲げていてもいいものか」という点です。「コンサート」というかたちをとるかぎり限界もありますが、このあたりはまたみんなで話し合いたいと思います。
「ほのぼの合唱団」は、いわゆる「ボランティア団体」ではありません。単に、歌うのが好きな人、人と会うのが好きな人の集まりです。
私はそう思っていますが、「ボランティア」と思われているふしもありますし、「ボランティア」だと思って参加されている人もなきにしもあらずです。
「ボランティアではありません!」と言い切ることで、そういう方々が参加しにくくなっては、「ほのぼの」の趣旨に反します。
要するにあいまいなかたちのままにしているわけです。そういったファジーなところが、「ほのぼの合唱団」の欠点です。でも、「だから参加しやすい」ということも言えると思います。
まあ、以上堅苦しいことを言いましたが、そういった私の思惑とは関係なく、練習日やコンサートを楽しみに待ってくださる方は多く、ありがたいと思います。
今後も誰もが参加しやすい活動を作っていきたいと思います。興味ある方はご連絡ください。


「歩いて行こうよ」(原詩 長野恵利子)

歩いて行こうよ風の中を
見知らぬ誰かと出会えるから
言葉は出なくても微笑み交わせば
そこから何かが始まるはず
あなたと私の生きるこの町
あなたと私が歩くこの道

歩いて行こうよ花の中を
その手の温もり伝わるから
心と心がふれあうときには
そこから何かが始まるはず
あなたと私の生きるこの町
あなたと私の歩くこの道

(文責;ほのぼの合唱団事務局長 広垣 進







2.「ほのぼの合唱団」の活動を紹介します

「ほのぼの合唱団のサブページをごらん下さい。