1635(寛永12)古市に初めて浄瑠璃芝居が来演
1639(寛永16)古市に初めて歌舞伎芝居が来演
1672(寛文12)「お玉」の文字が芭蕉『貫におひ』に登場(初見)
1686(貞亨03)西鶴『好色一代女』刊行
(主人公が中之地蔵の遊山宿に身をおく)
1734(享保19)山田新町の遊所が初めて許可される
1748~1750
(寛延年間)
牛車楼こと備前屋、古市で伊勢音頭を踊り始める
1774(安永03)月僊、古市寂照寺の住職となる
1782(天明02)古市が全盛期に入る(人家342軒、妓楼70軒、寺3ケ所、大芝居2場、遊女約1,000人)
1796(寛政08)油屋騒動おこる。『伊勢土産菖蒲刀』(松坂)、近松徳三『伊勢音頭恋寝刀』(大阪)、奈河篤助の『いせみやげ川崎拍子』(京都)で上演される
1805(文化02)千束屋里登寄付金により、牛谷坂の本格的な改修工事
が行われる
1829(文政12)古市で初めて『伊勢音頭恋寝刀』が上演される
1838(天保09)『伊勢音頭恋寝刀』が浄瑠璃化され、大阪で上演
1851(嘉永04)料理旅館「麻吉」創業
1853(嘉永04)古市衰退の兆し(茶屋70軒、茶汲女780人に減少)
1872(明治05)この頃古市妓楼32軒に減少
1888(明治21)古市三大妓楼のひとつ「油屋」旅館に転業
1889(明治22)長盛座新築
1907(明治40)古市三大妓楼のひとつ「杉本屋」閉店
1915(大正04)古市三大妓楼で最後まで残っていた「備前屋」廃業
1927(昭和02)古市の大火により長盛座焼失
1945(昭和20)空襲により芝居小屋をはじめ町並みの多くは焼失

■独特の町並み(切妻屋根)
  伊勢の町並みは、建物の形態が切妻・妻入りであるところに特徴があります。 この理由として、神宮社殿が切妻・平入りであることへの遠慮という考え方が 一般化しています。軒が触れ合うほど間口が小さく、奥行きが大きい、いわゆる 「うなぎの寝床」と呼ばれる町並みであり、表通りから家並みの間に入り込んだ 路地は大変狭く、伊勢では「世古」と呼ばれています。

■蘇民将来子孫之家
  伊勢の家々には一年中しめ縄がかかっています。そして、しめ縄の中央には 「蘇民将来子孫之家」と書かれた木札が見られます。これは、スサノオノミコト が旅の途中伊勢の地を訪れ、蘇民将来の家に泊めてもらった時に、家の周りに しめ縄を張り巡らし、疫病から救ったという伝説によるもので、魔除けの木札 として、ことに病魔から護ってくれるとの言い伝えがあります。