溺れ谷

的矢湾はかって谷でした。

長年の沈降により谷に海水が流れ込み複雑な地形を形成した入り江となっています。

海岸線はリアス式海岸と呼ばれています。

リアスはスペインのリア地方の言葉で、海と川と緑がが交わり一つになることと言う意味があります。

その言葉通り、西には川が流れこみ、緑と入り江を形成しています。

的矢湾の名前の由来は、この地方を仕切っていた豪族、的矢氏の名前となっています。

英虞湾と的矢湾を繋ぐ神話

そのむかし、志摩の南側、波切と船越の間にある大滝、大浜と呼ばれるところに火火出見命(ほほでみのみこと・山幸彦)と呼ばれる神様と、豊玉姫(とよたまひめ)と呼ばれる神様の夫婦が住んでいました。 

大滝の方が人でいっぱいになると英虞湾の奥に有る立神の立石浦に居を移しました。

日本三大御田植え祭りの一つ伊雑宮で御田が行われる日、豊玉姫は新居の立石浦から1畳の大きさの7本の鮫(恵比寿鮫)に乗り、御座、和具大島、大王崎、安乗崎を回り、安乗崎の先にある大倉島の海中の鳥居をくぐり、的矢湾の最も奥にある川を遡り伊雑宮へと詣でます。

この時ばかりは、志摩の海女、漁師は漁を休み、伊雑宮への海路を開けるわけです。

豊玉姫は真珠の神様でもあり、同時に子宝の神様でもあります。

豊穣の海

的矢湾では真珠の他に、牡蠣養殖、アオサ養殖が盛んで、牡蠣は的矢カキの名前で知られています。

緑豊かな山間から流れ込む水が牡蠣などの養殖に適し、美味しい海産物を多く育んでいます。

 

 

伊雑宮

志摩を代表する神社の一つで、「いざわのみや」、「いぞうぐう」と呼ばれています。

伊勢神宮の一の宮として知られ、また日本三大御田植え祭りの御田でも知られています。