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 2003/1/26 『ある放浪者の半生』 V・S・ナイポール 斎藤兆史訳 岩波書店 

 『ある放浪者の半生』は、文豪(と日本では称されるが本国ではそれほどでもないらしい)サマセット・モームから拝借したミドルネームを持つ主人公ウィリー・チャンドランの半生を描いた作品である。全体は「サマセット・モームの訪問」「第一章」「再訳」の三章に分かれている。「第一章」の前に「サマセット・モームの訪問」という章が来て、「第二章」はなく、三章目は「再訳」と題される不思議な章立てである。

事実上の第一章にあたる「サマセット・モームの訪問」では、主に名前の由来である英国作家と父の出会いが綴られる。主人公の父は藩主(マハラジャ)の廷臣の家柄に生まれながら大聖(マハトマ)の不服従の精神に鼓舞され、特に愛してもいない最下層のカーストの女性と一緒になることで家を出る。寺院の中庭で乞食暮らしをしながら沈黙の行を始めるが、皮肉なことにそれが話題となり聖者扱いされる。インド滞在中に父のもとを訪れたモームが帰国後小説の中で触れたことで、父は英国でちょっとした有名人となっていた。息子が書く物を読んだ父は英国の知人に手紙を書き、ウィリーは英国のカレッジの奨学生となる。

事実上の第二章にあたる「第一章」では、ウィリーのロンドンでの暮らしが描かれる。留学生たちのボヘミアン的な生活にも慣れたウィリーは文章を書き始める。友人の紹介で出版された短編集の反響のなさに落ち込んでいるウィリーのところに読者から手紙が届く。手紙の主であるポルトガル領アフリカ出身の女性アナとの出会いが機縁となり、ウィリーはアフリカに渡る。第三章では18年暮らしたアフリカを去り、妹の家に身を寄せた主人公のアフリカ暮らしの回想が語られる。

父や母にこだわり自分の出自を気にするのは確固とした自我がなく、それらに寄りかかることで自分を規定しようとしているからである。西欧人のように唯一神と直面することで自己というものを自らの裡に築き上げる経験を持たない多神教の民は、国家や民族、あるいは社会階層というものに帰属することで自らの自我を安定させようとする。しかし、自分の民族の言葉でなく英語の教育を受け、ミッションスクールで学ぶインド人留学生にとって帰属できる場所とは何処だろうか。

主人公は愛する女性の中にその答えを求めアフリカ行きを決めるが、18年後のある日濡れた階段で足を滑らせ頭を打つことで啓示の如く悟る。18年間のアフリカ暮らしは自分のではなく彼女の生を生きていたのだと。中年となった主人公はベルリンで暮らす妹の家に身を寄せる。原題「HALF A LIFE」は半生と解するべきだろうが、自立した生活者となった妹とは異なり、主人公はかつての日々を回想することで、残りの半生を送ることになるだろう。

全編を通じて伝わってくるのは、自らは積極的に動くこともなく、その都度自分の前に現れる対象に寄り添って行動する主人公の態度のいい加減さである。最下層のカースト出身の母と結婚した父を憎み、自己の出自を偽る物語を創作するうち、いつしか自分と直面することを回避する生き方をたどる主人公に割り切れない思いを抱きながらも、どこか奇妙なリアリティーを感じてしまうのは、戦後、アメリカ的な生活にどっぷりと浸かりながら、どこかで違和感を感じている我々日本人にとって案外誰もが主人公に似た日々を送っているという思いがあるからだろうか。

ナイポールはトリニダード出身のインド移民3世。オックスフォード大学卒業後、BBCの仕事をした後作家活動に入った。旧植民地出身の英語文学作家の旗手として2001年にノーベル文学賞を受賞している。主人公のたどった経歴と作家のそれが重なっているように、旧植民地出身でありながら宗主国の言語で思考し、創作活動をするという作家のアイデンティティーのあり方は、21世紀文学の行方を示すものかも知れない。

 2003/1/21 『望楼館追想』 エドワード・ケアリー 古屋美登里訳 文藝春秋

異様な書き出し、次々と登場する非日常的人物、短い章立て、グランドホテル形式を採用した交代する複数の人物群、一人称視点に支えられた覗き見趣味、常時白手袋を着用し蝋人形や彫像を擬する主人公の不可解な行動と、これが処女作とも思えない達者な語り口に引きずられるように550ページにも及ぶ物語を一気に読まされてしまった。そういう意味では面白い小説と言えるだろう。

しかし、物語が佳境に入るあたりから、何かちがうという気がしてくる。本を手に取ったときに感じた異世界に入れる切符を手にした特権的な読者という己の位相が徐々にずれてきて、もしかしたら予定調和の世界にいるのではないかという恐ろしい予感が鎌首を擡げてくる。そうなると、怖いもの見たさで一気に最後まで読み進めることになる。とても訳者後書きにあるように、この時間がもっと続けばいいのになどと思えるようなものではない。

巻末に付された996品目にも及ぶ収蔵品のリストや、百種の臭いのする汗と涙を流し続ける禿頭の男、犬と交わりながら暮らす犬女、男に捨てられてからテレビを見続ける女と、登場する人物に附されたディテールを瞥見すると一見奇想を売り物にする物語と思えるのだが、実はちがう。シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』やバーネットの『秘密の花園』、あるいはオスカーワイルドの『わがままな巨人』と同じ主題、つまり、外部との間に塀を建てた孤独な魂が、愛(善意)によって回復する物語だと分かってしまえば、手品の種明かしを見てしまったように物語を支えていた奇想が剥がれ落ち、さしもの望楼館も崩壊してしまうことをとどめることはできない。

人物の外側を彩っていた退嬰的な装飾が剥がれ落ちてしまえば、一連の落魄趣味に装われた人物群はもしかしたら読者の傍にもいるかもしれない孤独な人々の相貌に酷似しているだろう。自分を愛されはしたが好かれなかった「取り替え子」だと感じ、自分の素手を見ることを自ら禁じてしまった主人公は、他者が愛した痕跡の残る物を盗んでは自分のコレクションとすることで愛の空白を埋めようとする。

孤児に生まれ、これも愛されることの少なかったヒロインは主人公を愛し、彼の周囲にいる孤独な人々の心を開いていくが、望楼館という朽ち果てていく建築の中に自己の悔恨に満ちた過去を閉じこめひたすらそれから目を背けることでつまらぬ生を生き延びてきた人々は、ヒロインと接することで、さながら凍りついていた過去が溶け出すように色鮮やかに甦った過去の追想の中に浸り、やがて自己の真実の姿に得絶えずして崩れ落ちるように死んでゆく。

人は誰しも多かれ少なかれ独自の強迫観念(オブセッション)の中に生きている。生まれ落ちて入った誰それという殻とうまく収まりがつく幸運な人々は別として、纏った何某という鎧と柔らかな自分という存在が接するあたりで擦れ、傷みを感じてしまう繊細な自我を持つ人々にとって日々を生きるということは、その傷みを避け続ける営為と同義である。生き埋めから逃れようと足掻くことで恩寵のように白手袋を汚すという禁忌を破る行為に導かれ、予想外の結末を得る主人公を、彼を分身と見てきた読者は裏切られた思いを抱くのではないだろうか。

望楼というのは、建物の一部を構成する「遠くを見るための櫓、火の見櫓」を意味する。「高楼」のように、楼はそれだけで一つの建物で、その楼に館を添えるのは屋上屋を添える企てというべきである。ディケンズに『荒涼館』という作品がある。著者が翻訳の音の響きを気に入ったというが、訳者自らがいうように『天文館』でよかったのではないか。蛇足ながら「追想」は余計だった。読む前から回想的視点で書かれた物語であり、館は今はないことを暗示してしまうからだ。訳者として僭越の誹りを免れないだろう。

 2003/1/19 『「おじさん」的思考』 内田 樹 晶文社

おじさんという言葉は、近頃ではあまりいい意味合いで使われることはない。ダサくて、格好悪くて、時代遅れであるのに、それに自分で気づいていない人に対して使われるのが相場だろう。そう言われはしないかと内心びくびくもので毎日を過ごしているおじさん族も多いはず。あるいは居直ってしまっている強者もいるかもしれない。しかし、いずれにせよ自分たちが従っている価値観に自信をなくしてしまっている点では共通しているのだ。

言葉に括弧を付けるときは、それが一般的に使われているのとは少しちがいますよ、ということを言いたいときである。内田は、この元気のないおじさんたちが大事にしてきたモラル(それはたとえば「額に汗して仕事をするのはそれ自体『よいこと』だという職業倫理」だったり、「『強きをくじき、弱きを助ける』ことこそとりあえず人倫の基礎だ」という信念だったりする)の埃をはらい、今一度新しい光を当てようとする。

それが家具の場合ならニス塗りやワックスがけが必要であるように、捨てて顧みられなかったものに再び輝きを与えるためには工夫がいる。内田はレトリックを駆使することで、古びて魅力のない「正しいおじさんの常識」に新鮮な感動を与えることに成功している。稀代のレトリシャン花田清輝がそうであったように、内田もまたポレミック(論争好き)な言説を好む。世評が「おじさん」的な倫理観を嘲笑う以上そういう態度に出るしか道はないからだ。

たとえば、評判のよくない「一国平和主義」について、内田は「私は『自分の国だけが助かればいい』というのが(動物の世界と同じく)国際社会における国民国家の基本的な、『正しい』マナーであると考えている」と断言する。その理由を内田はこう説明する。ウマだけが好む草から罹患する伝染病があるとしよう。そこにシマウマというちがう草を好む種がいることで、ウマを食べるライオンが絶滅から免れることがある。種が多様であることが、生物界においてシステム・ダウンを回避するのに役立っているのだ、と。

「システムを支えるために個体は、『他の個体をもっては代え難い』というきわだった特性を持つ必要がある。それは『おのれひとりが助かればいい』という利己主義ではなく、実は『システムの延命のために、個性的であることを貫徹する』という『滅私奉公』の精神に貫かれた倫理的選択なのである。」「貫徹」だの「滅私奉公」だの、仮想される論争相手の好みそうな言葉をちりばめ、高揚した勢いに乗せながら、鮮やかなレトリックを駆使して、日本という国に冠される「普通じゃない」というマイナスとも思える性格の価値を転倒させてしまう。

天下国家のような大問題ばかりを論じているわけではない。セクハラ教師が横行するのは、もともと「学びの場は本質的にエロティックな場である」からだなどという、お堅い先生方なら卒倒してしまうようなことを言い出したりもする。同じ大学教授でありながら、内田がその危険を回避できるは、学校がエロティックな場であることを熟知しているからだという決めぜりふは、ソクラテスの「無知の知」を髣髴とさせる絶妙のレトリックである。

本当は大事なことだが等閑に付されていることを採りあげて面白く読ませ、それでいて実用的でもある。何の役に立つかって。ふだん何となく世論の風向きを変だと感じながらもうまく説明できないままに忸怩たる毎日を送っていた大人たちにとって、漠然と感じていたことが筋道立てて明快に整理されることで自分の足場がはっきりし、生きる元気がわいてくる。「おじさん」的思考とは、成熟したモラリストの思考の謂である。

 2003/1/18 大レンブラント展 京都国立博物館

東山の山懐に抱かれるようにしてなだらかに広がる斜面に国立博物館の壮麗な赤煉瓦の建築はある。真向かいは通し矢で有名な蓮華王院通称三十三間堂。折しも「弓はじめ」の行事が催されていて界隈は袴姿の若者や見物の家族連れで祭りのようににぎやかさ。それに負けず劣らず期日終了を間近に控えた展覧会は最後の駆け込み客で満員御礼の垂れ幕でも出そうな盛況ぶりであった。

オランダをはじめ世界の美術館や個人が蔵するレンブラントの作品が、その国を出てこのように一堂に会する機会は滅多になく、日本ではこれが最後ではないかという宣伝文句は、どこかで聞いた気がした。同じ財団が企画した「フェルメールとその時代」展がそれだ。展覧会場に充てられた建物は立派だが如何せん古く、作品の展示の仕方や入場者への配慮といった点で不満の残るのは両展覧会に共通する課題である。

特に天井近くに設置された照明が絵画の表面に直接あたるため、見る角度によっては光が反射して絵が見えなくなるのは問題。見る角度を選ぼうにも多くの観覧者で身動きもとれない有様だからである。新しく作られた美術館などでは間接照明を多用し、表面に反射しないように工夫されているところもある。せっかく名画を見る機会が与えられたのだから、他にもっとふさわしい施設がなかったものかと悔やまれてならない。

本展覧会の核とも言えるレンブラント中期の大作「目を潰されるサムソン」は会場内の最も広いホールの奥に展示されていた。画面左上から差し込む光がサムソンにだけ当たっているのはカラバッジョに倣ったキアロスクーロ(光と影の明暗による立体感の表現)である。衣服の胸をはだけて横たわるサムソンを囲むようにペリシテ人の兵士の鎧兜の金属を置き、苦悶に指を折り曲げたサムソンの足の向こうに力の源である髪を切り落としてほくそ笑むデリラの持つ鋏を配置する対比的な構成は主題を強く訴えかけることに成功している。

短躯ではあるが甲冑で身を固めた屈強な兵士に羽交い締めにされ、手を鎖で縛られて身動きできないサムソンを尻目に、切り取った髪を高々と示し、サムソンの方を振り返るデリラの顔は地面に反射した天幕の外から差し込む光に照らされて凄艶さがいや増している。マニエリスムの様式性を批判し、よりリアルな表現を求めたバロック絵画は、同時にルネッサンスの持つ均衡と調和を嫌い動的な表現を特徴とする。「目を潰されるサムソン」は、レンブラントの作品の中でも最もバロック的な作品といえるだろう。

トローニーと呼ばれる頭部習作や肖像画からは、画集で知ることのできないレンブラントの技量の高さを改めて知った。特に金属や布地の持つ質感の表現の見事さ。光と影の魔術師と呼ばれるレンブラントだが、キアロスクーロを用いた画面構成だけを指すのではなかった。塗ったばかりの絵の具を絵筆の柄で引っ掻き、下の地肌を出すことで髪や髭の明暗を演出したり、わざと分厚く塗った絵の具の起伏が光に当たることで黄金の煌めきを見せたりするその技術はマジック・リアリズムとでも形容するほかない。

出口のところで若い男が「これのどこが『大』レンブラント展なんだ。」とぼやくのが耳に入った。たしかに「目を潰されるサムソン」を除けば、めぼしい作品は少ない。総作品数が50点足らず。優れた技量を示すトローニーや肖像画もレンブラントの真筆かどうか疑念の残る作品も少なくない。「大」という字を冠するには少し無理があるかもしれない。ここに1982年に開かれた「エルミタージュ美術館秘蔵レンブラント展」の図録がある。エッチングや素描も含めてだが総作品数は100点。中には「フロ−ラを装うサスキア」や「アブラハムの犠牲」などの名作を含む。それでも「大」はついていない。「レンブラント展」でよかったのではないか。

 2003/1/4 『テレビの黄金時代』 小林信彦 文藝春秋

今年はテレビ放映が開始されてから五十年目にあたるらしく、新聞やテレビの正月特集は、テレビ50年の歴史を扱ったものが目立った。NHKの番組では、「夢で逢いましょう」の司会者で斜めに首を傾げる会釈が印象的だったデザイナーの中嶋弘子が、放送当時の録画について楽屋裏の話を交えて解説していた。今のようにテレビ局や番組数が溢れておらず、大衆は皆同じ番組を楽しみにしていた。「夢で逢いましょう」は、当時のヴァラエティー番組として人気を誇っていた。

小林信彦はサイレント時代からのアメリカ映画のギャグや、ミュージカル、テレビ・ヴァラエティーの見巧者として知られ、小説も書けば、雑誌の編集もし、エンターテインメント時評も書く。中原弓彦のペンネームでは「日本の喜劇人」のような喜劇論も書くという才人だが、草創期のテレビに深く関わった若き才能の一人でもあった。『テレビの黄金時代』は、著者が関わってきたテレビ界の最も元気のあった頃を描いた所謂バック・ステージ物の小説といってもいいだろう。とはいえ、自分の見てきたことだけを書くという著者のスタイルはここでも採用され、フィクションは皆無だという。

それでは、面白くないかと言えば、これが、なかなか面白い。著者自身も先にあげた「夢で逢いましょう」などの番組でパイ投げの経験も持つテレビ人の一人で、いわば登場人物の一人である。さりながら、テレビの仕事はしていても、自分のほんとうの仕事は物書きであるという自負心が一歩引いたところから、この新興ゆえのエネルギーに溢れ返る猥雑な業界を眺めさせる。その絶妙のポジショニングが、身の回りで起きている出来事の一部始終を冷静に観察させ、かえって人間臭さを浮かび上がらせることに成功している。

稀代の名プロデューサー井原高忠をはじめ、永六輔、前田武彦、青島幸男、大橋巨泉という豪華な顔ぶれの織りなす人間ドラマの中に、クレージーキャッツ、ドリフターズ、坂本九、コント55号などの栄枯盛衰振りが点綴されるのだから同時代を生きた者にとって面白くなかろうはずがない。菓子屋の跡取に生まれた著者には、独特の審美眼が備わっていて、人間を見つめる目は時に辛い。大橋巨泉の態度のでかさはおそらく見たままを綴ったものだろうが、容赦のかけらもない。日本テレビとワタナベプロの全面戦争など、当時は全然知らなかった。テレビ界の仕組みというものがよく分かった。

「黄金時代」には、二つの意味がある。一つは、よく使われる、「最も栄えて華やかな時代・時期。最盛期」の意。『テレビの黄金時代』のような使い方の場合普通はこちらを採る。もう一つは、長くなるが、澁澤龍彦の同名の著書のあとがきを引きたい。

「ギリシア人は人類の歴史を黄金、銀、青銅、鉄の四時代に分けたという。サトゥルヌスの支配下にあった黄金時代は、無垢と幸福の時代、労働ということを知らない豊饒の時代である。ユピテルの支配する銀時代から、人類の歴史はだんだん悪くなって行く。青銅時代は、不正と掠奪と戦争が世界を覆った時代。鉄時代は、自然の富がいちじるしく減少し、人類がいよいよ邪悪になって行く時代。」

ヒッチコック・マガジンの名編集長らしく、二つの意味を重ねたダブル・ミーニングの凝った題名のつけ方だが、どちらの色あいが濃いかは読んだ者にしか分からないかもしれない。
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