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 2004/5/29 『「ならず者国家」異論』 吉本隆明 光文社

大学生の頃、めずらしく女の子に誘われて一緒にお茶を飲んだことがあった。浪人中に伸ばした髪が、何となく他の良家の子女たちとちがって見えたのか、同じゼミでもなければ、あまり話しかけられることはなかったのに、どうして俺が、と思いながら、学校の前にある喫茶店について行くと、突然「○○君は吉本についてどう思う?」と訊かれた。政治に関心のある学生なら誰でも吉本くらいは読んでいた時代だ。長髪が運動家に見えたのだろうか。

当時は吉本よりも、彼の論争相手である、埴谷雄高や花田清輝の観念やレトリックの世界の方に引かれていて、吉本のいい読者ではなかった気がする。今となっては、論争相手は鬼籍に入り、独り吉本だけが、いまだに情況に対して発言を続けている。敗戦を契機にした日本の知識階級の身も世もない寝返りぶりにとことん愛想を尽かした吉本は、思想の根拠を日本の庶民、大衆の位置に置き、愚直なまでに自前の思想的営為を続けてきた。しかし、すでに時代の潮流は娘のばななの世代に移り、吉本隆明の発言にかつてほどの影響力はない。何を今さら、と思いながらも題名に惹かれて読んでみた。

内容はといえば、北朝鮮の拉致問題やアメリカの対イラク戦争、それに不況問題と、どれも今日的な話題を、専門用語や特殊な知識を披瀝しない平易な言葉遣いで、市井の隠居が時事問題を語るという語り口が貫かれているので、読みやすいことこの上ない。たとえば、金正日は日本の天皇を真似た「生き神様」を目指しているが、まだ修行が足りない、だとか、拉致問題の解決は、拉致された当人が、どちらの国で生きたいかということにつきる、とか、至極真っ当な意見が多く、「異論」という言葉に興味をそそられた読者としては、少々物足りないこともない。

しかし、敗戦当時いっぱしの軍国青年だった吉本には、他の識者にありがちな自分を高いところに置いて他を語るというところがないので、アメリカがイラク戦争に固執する理由を、ああだこうだ言ったりはしない。ただ、何かあるのだろうと示唆するに留めている。そして、太平洋戦争当時の艦砲射撃と、イラク戦争のハイテク武器の使用を比較しながら、アメリカという国は、やるとなったら徹底的にやる国だというのは昔から何も変わらない、と締めくくる。

ガンジーの非暴力主義には敬意を表しながらもいざとなったら、自分や家族を守るためには、戦うだろうという吉本は醒めたリアリストに見える。その一方で、憲法九条は「思想的にも世界に先駆けた優れた条項で、どの資本主義国にもどんな社会主義国にもない<超>先進的な世界認識だ」とし、これを世界に広げるべきという理想主義的な言辞を吐いたりもする。いったいどっちなのだと言いたくなるところだが、そこはそれちゃんと落ちが用意されている。

「憲法にしたがわなければいけないのは政府と自衛隊と官僚たちであって、国民一般は要するに個人でもあるわけですから、したがうまいと思ったらしたがわなくてもかまわないわけです」という指摘には虚をつかれた。「要するに憲法というのは、国家の行動に対してある程度基本的な枠を設けているだけのことなのですから、一般の個人にすれば何が何でもそれにしたがわなくてはならないなどということはない」というのが、吉本の理屈で、国家という「幻想の共同体」を実体と勘違いして酷い目にあった戦争中の経験から学んだ彼の原則である。

九条の先進的なことも、国家が「幻想の共同体」であることも、景気回復は中小企業に視点をあてて考えるべきだという指摘も、自分自身が常々そう思い続けてきたことであって、何ら耳新しいことではない。しかし、他人の口からあらためて、それを聞かされると、なんだか悪い気がしない。ましてやそれがあの吉本であるなら、なおさらに。

「文芸はもともとは空の空を構築するもので、これにたずさわるものは無用のものと言うべきだろうが、この無用はたくさんの実用と理論に支えられている。この事実を確かに認知するためには繰返して基層を明確にする作業がいると思う」という言葉に励まされた。マスコミに登場する知識人や既成政党には愛想を尽かしながらも、何だかだと、この国の行く末が気になる諸兄に一読をおすすめしたい。

 2004/5/17 『芸術の宇宙誌』 谷川渥対談集 右文書院

著者によれば、澁澤龍彦ファンには、三つの世代があるそうで、まずその第一は、澁澤と同世代で、サド裁判の頃からその謦咳に接している人々である。次が、少し遅れて『夢の宇宙誌』あたりの澁澤が自分のスタイルを確立した頃に澁澤を発見した世代。最後は、文庫化されてから澁澤を知った世代になる。その線引きでいけば、著者と私は、同じ第二世代に属することになる。

どこかで見たことのあるような書名だと思ったが、澁澤の影響を受けているなら『芸術の宇宙誌』という書名も分からぬでもない。谷川渥という名前は、前から気になっていた。着眼点が似ているというか、それほどポピュラーとも思えない話題に目を止めると、谷川渥の名前があることが多かった。第一世代の、たとえばこの本でも対談相手に選ばれている種村季弘や巖谷國士ならよく知っているのだが、第二世代についてはよく知らなかった。同時代に澁澤の影響を被っているなら、眼の止まるところが似ているのは当然といってもいいだろう。

絵画の図像学やランボー、モダニズム、現代芸術、建築と相手の専門に合わせながら自在に展開される対談はなかなかのものだが、読者の興味によって、面白さに濃淡が出るのは仕方があるまい。総じて、突飛な視点や目新しい発見があるわけではない。現代芸術についての講義を聴いているような感じがするのは仕方のないところだろう。

澁澤関係は別として、草間彌生との対談は面白かった。アンディ・ウォーホルのキャンベルスープの缶を並べた絵は有名だが、あの同じものを隙間なく並べる手法はもともと草間彌生が本家だという。その他、『コーネルの箱』のあのジョセフ・コーネルが草間にぞっこんだったとか、彼がとんでもないマザコンだったとかいう話は、直接接した者だけが知る裏話で、他の対談者が裃をつけた話に終始している中で、さすがに草間彌生の面目躍如たるものがある。

もう一人、精神分析学者の新宮一成との対談も面白い。ラカンの「鏡像段階」について、新宮は、自己同定の論理を持ち出し、「これが私だ」と鏡に向かって言うとき、言っている私と、言われた方にある「何か」に、自己は分裂しているのだという。そう考えることで、これが私だと言っている方の自分が、ある種の絶対的な存在になれるのだと。そうなったら、鏡の向こうの自分は、何にでも変わることができる。同じ顔が映ってはいても「その鏡の背景には何でもいいものが隠れている」。それが楽しいのだと。

何にでも変われるという可塑性を楽しいと捉えるなら、たしかにその通りだろう。しかし、一度分裂をはじめた自己は、鏡の背後で無限に増殖をはじめ、これが私だと言える確固とした自己などないことに思い至らざるを得ない。鏡の背後で常に逃走して止まない自己を追いかけて、ランボオはアフリカに行ったのだろうか。そして、三島は展翅板に永遠の相を留めるために、自分の腹にピンを刺したのだろうか。

自分で拵えた澁澤龍彦像を「澁澤龍彦集成」に閉じ込めるようにして、自決を覚悟していた三島を故国に置き、澁澤はヨーロッパに出かけた。帰国した澁澤は『思考の紋章学』や『胡桃の中の世界』に代表される偏愛のオブジェに由来するエッセイを書く書斎人として、そして最後には、伝奇物語の色濃い小説作者として三度変容してみせる。鏡のメタファーを知りつくした作家ならではの見事なメタモルフォーゼぶりである。

バロックについて、「ドールスのバロック論のひとつのポイントは、一番下に重い建築、次いで彫刻、絵画、詩、音楽と重ねたときに、バロックは上のジャンルに行こうとするということです。すなわち建築が彫刻になろうとする、これはバロックと考えていい。古典主義は逆に下がろうとする。音楽が詩に、すなわち音楽が語ろうとする。絵画が彫刻に、すなわち非常に立体的な三次元的イリュージョンを目指す。彫刻は建築的なものになろうとする。それらは古典主義です。」なるほど、よく分かる。お気に入りの先生から講義を聞いているような気分である。

 2004/5/11 『チャーチル/大英帝国の嵐』 リチャード・ロンクレイン

第二次世界大戦開戦前夜、チャーチルは党の要職を解かれ、不遇の時期にあった。当時ドイツはナチスが政権を握り、ヒトラーは着々と軍備を拡張し続けていた。しかし、第一次世界大戦の補償問題でドイツに厳しすぎたことがナチスの台頭を生んだことから、英国政府はドイツに対して毅然たる態度がとれずにいた。軍縮を続ける英国の政策を苦々しく思うチャーチルは、時の首相に対し論戦を挑むのだが、さしものチャーチルも年をとり、若い議員に見くびられたり、自分の党からも非難されたりと、意に染まぬ毎日を送っていた。

どんな英雄にも、辛い時期というものがある。時折訪れる自分の「鬱」状態をウィンストン・チャーチルは「黒い犬」と呼んでいたらしい。その黒い犬を飼い慣らすために、彼は毎日2000語の文章を書き、200個の煉瓦を積み、風景画を描いた。

漱石の『草枕』で人口に膾炙した「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば面倒だ」という言葉があるが、「知、情、意」のバランスがとれていることが、人間を精神的に健康に保つ秘訣である。チャーチルは、さすがに経験上、そのことに気づいていたのだろう。

新聞等に意見を発表するために、文章を書くことは「知性」の行使である。油絵を描くことは、様々な色を使うことで感情を働かせる。また、これが大事だが、煉瓦積みには、知性や感情はいらない。規則正しく煉瓦を積んでいくことは人間の意志の力を使うことになる。ともすれば、感情的になったり、知的な活動を強いられる立場にある政治家として、煉瓦積みはいいストレス解消法になったであろう。

しかし、それにも増して、愛妻クレミーの存在が、大きかったようだ。映画の中では、あのアルバート・フィニーが、尊大でわがまま、おまけに子どもっぽい人格の持ち主ながら、何気ない仕種や時折吐く警句や詩に現れる英国人独特のヒューマーによって、周囲の人に愛される憎めないチャーチルその人の人間性を、素晴らしいメイキャップも相俟って、これ以上ないと思われる名演で演じていたが、その妻を演じたヴァネッサ・レッドグレイブがいなくては空回りとなったことだろう。

無技巧の技巧という方法があるが、これくらいの役者になると、技巧を凝らしているのにちっともそれを感じさせない「嘘から出たまこと」のような演技ができるものらしい。いい年をした老夫婦の痴話喧嘩や他愛ない焼き餅が、なんとも言えず愛おしく感じられてくるから不思議である。

機密情報を手に入れることで、議会をリードし、ついには海軍大臣に復帰したチャーチルが、初出勤の日、妻に言う科白が泣かせる。「感謝する。私のような男と結婚した軽率さに。長年連れ添ってきた愚かさに。そして、いつもかわらぬ愛に。」演説の名手は、妻に感謝の言葉を言う際にもレトリックを駆使するのだ。

蛇足だが、映画の中で反チャーチル派の首相の説く平和主義に基づく非戦論は、今時のイラク戦に際して、非戦を唱える人々のそれとよく似ていた。ブレア首相が、他の欧州勢と袂を分かっても、米軍と共同歩調をとってイラク戦に参戦したのは、第二次世界大戦時、ユダヤ人弾圧を進めていたヒトラーのドイツに対し、参戦が遅れたために取り返しのつかない悲劇を許してしまった反省にたってのことだったと聞く。その気持ちは分かるだけに、現在のイラク情勢の悪さが胸を痛める。 

 2004/5/4 『琥珀捕り』 キアラン・カーソン 東京創元社

思いもかけず、楽しい読書体験をさせてもらった。というのも、文中に登場する人やら物やらに寄せる蘊蓄のただならぬこと。「Tachygraphy−速記法」などは、チェスタトンの引用も含めて、一章のほとんどがボルヘスの『異端審問』の中の「ジョン・ウィルキンズの分析言語」から成り立っていると言ってもよく、ついつい手持ちの資料にあたってみることを余儀なくさせられた。

博覧強記とは、こういう作者のことを言うのだろう。特に、フェルメールをはじめとする、オランダ絵画に関する記述、オウィディウスの『変身譚』を主としたギリシア・ローマ神話については、たびたび繰り返して言及されている。どこまでが引用で、どこからが作者の創作によるものか、書棚から関連する図録や書物を抜き出して机上に置き、いちいちつき合わせてその真偽を確かめずにはいられなかった。

たとえば、「Yarn」の章。ちなみに作者はこの物語をアルファベットのAからZではじまる言葉を標題とする26章で構成している。プルーストが、美術批評家ヴォドワイエを誘って、ジュードポ−ム美術館にフェルメールの絵を見に行ったときのことを話者はこう記す。

「フェルメールの技巧には中国風の忍耐があるように思われた。極東の漆細工や石彫でしかお目にかかれないような、作業の方法や手順をいっさい隠してしまう技量である。」

今、ここに2000年に大阪で開かれた『フェルメールとその時代展』の図録がある。その解説の中で千足伸行氏がプルーストとフェルメールの関係について触れながら、ヴォドワイエのフェルメール論を引いている。その中にある文章。

「フェルメールの仕事ぶりには極東の絵画、漆細工、彫像などにのみ見られる仕事の細心さやプロセスを見えなくするような力、いわば中国的な忍耐(une patience chinoise)がある。」

一読して分かるように、この部分に関して言えば、話者の語るフェルメール論はヴォドワイエその人の言葉を一字一句引き写したものである。文中では先の引用部分を含む段落の後に改行があり「―フェルメールの絵は、とヴォドワイエが語りはじめた。」と続く。つまり、引用部分は話者の言葉として語られていることになる。

一言ことわっておくが、作者は、最後に参考文献の長大なリストを付していることでもあり、盗作云々を言いたいわけではない。そうではなくて、一冊の本を読むために机上に本を積み上げる愉しさについて述べているのだ。先行するテクストを引用しながら、まったく新しい別の作品を創作するという方法は今では認知されている。第一、プルーストにしてからが、芸術に対しての言及の多さで知られる『失われた時を求めて』の中で、ヴォドワイエのフェルメール論を借用しているのはよく知られた事実である。

物語の中にまた別の物語が入れ子状に組み込まれ、物語が切りもなく増殖していったり、発端と結末が呼応し、ウロボロスの蛇のごとき形状を見せるのは『千一夜物語』などでお馴染みのものだが、『琥珀捕り』のスタイルで特徴的といえるのは、琥珀や煙草、望遠鏡、潜水艦などを繋ぎに使い、物語が尻取りゲームのように章から章に繋がっていることと、今ひとつは、物語の中に突然、「物」についての詳細きわまりない解説が挟み込まれ、植物の薬効成分だの医学的効能などが、延々と冗長とも思える長さで続くことである。

そうした他に類を見ない文学形式に対してインディペンデント紙は「文学においてのカモノハシに相当するもの」という見解を示し、この書物を語る上での惹句になっているらしいが、そうだろうか。書棚から抜き出した本の一冊に『OVIDIANA−ギリシア・ローマ神話の周辺』(久保正彰、青土社)という本がある。その中に次のような箇所がある。少々長くなるが引用しよう。

「オウィディウスが『変容譚』の話と話のつなぎ目、すなわち、あるようなないような脈絡を語るときの方法は、多様であるがじつはホメロス以来の伝統的な技巧を、彼の独自の工夫によって組み合わせているにすぎない。(略)本筋の進行中に、壺絵が直接に読者に向かって語りかけ、もう一つ別の筋が展開する。この技法はテオンとかニコラオスなどの後世の修辞学者たちが美術・工芸品の描写美(エクフラシス)と名付けているものだが、実例はホメロスの叙事詩にすでに根づいている。」

『琥珀捕り』が、オウィディウスから借用しているのは、話の素材ばかりではなかったのだ。オウィディウスは、このエクフラシスの技巧に優れ、「時としては、本筋のほうがいつのまにか場面の外に押しだされてしまい、ものが主人公のように収ってしまっていることもある」そうだが、キアラン・カーソンの場合もそれと同じことが言えよう。何のことはない。オウィディウスはホメロスから、そして、キアラン・カーソンは、オウィディウスからその方法を借用していたというわけである。

ホメロス以来の技巧をアイルランドの法螺話の中に何気なく紛れ込ませたり、全編これ他の書物からの引用かと思えるほどの博覧強記ぶりを見せつけるかと思えば、どこから見つけてきたのか分からぬ昔話風の物語を滑り込ませ、読者の知的好奇心を挑発するなど、どこまでも食えない作者である。翻訳は、苦心の跡の窺える労作といえる。ただ、解説で柴田元幸氏は琥珀についての澁澤の文章を引用しているが、贔屓の引き倒しというものであろう。そこだけ、文章の格のちがうのが見えてしまうのである。 
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