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 2004/3/30 「神と人とファラオ」 三重県立美術館

雨脚が速くなってきていた。駐車場に車を停めると、美術館の石段を急いだ。ハプスブルク家歴代皇帝が帝国の威信にかけて蒐集した膨大な美術品を誇るウィーン美術史美術館が、そのコレクションの中から140点あまりを選び、「神とファラオ」、「古代エジプト人の生と死」、「古代エジプト人の生活」という三部構成でエジプト古代美術の精髄を見せるというのが、今回の展覧会の企画である。

実は、数年前にウィーン美術史美術館を訪ねたことがある。蒐集品の中には、フェルメールやブリューゲルをはじめ、そこでしか見られない傑作が目白押しで、とても古代エジプト美術にまで足を伸ばすことはできなかった。古代エジプト美術の豊穣さに開眼したのはその後、エジプトの地に足を踏み入れてからのことである。機会があれば、ぜひ再会したいものだと常々思っていた。その機会が与えられたのだ。

最初の部屋の中央に据えられているのは、ツタンカーメンの後を襲った「ホルエムヘブ王とホルス神の座像」である。古代エジプト美術と聞けば、アイラインを引いた横顔を思い出すほどで、様式化されているように思われがちだが、王の顔については、リアルな表現がなされている。ホルエムヘブ王であろうと推定されるのもその顔の持つ表情による。若さを感じさせる頬から顎にかけてのほっそりとした表現、真一文字に結んだ唇に浮かぶ思慮深げな、それでいてどこか気弱そうな王の顔は、ラムセス二世の像にあった尊大さを微塵も感じさせない。隣に並んだホルス神の右手がそっと王の背に回されているのに気づいた。ホルス神の頭部がハヤブサの顔をしていなければ、仲のよい二人の若者のようだ。神が王を守るという表現がこれほど肉感的に表されている例を他に知らない。

他のセクションでもそうだが、制作年代の古さにもかかわらず、その表現の写実的なことには驚くばかりだ。展示品を守るために会場内は照明を落としていたが、女性の頭部のレリーフには、浮き彫りの精緻さを際立たせるためにだろう、ガラスケースの中に小さなライトが据えられていた。微かな光に浮かび上がる縮れた髪が豊かに波打つ様は官能的で、切れ長の眼に濃く引かれたアイラインの上に引かれた線は二重瞼を表しているのだろう。下瞼と首筋に引かれた線は、おそらく皺で、この美しい女性がもう若くはないことを教えてくれる。

アヌビスやハヤブサは言うに及ばず、ウナギやワニに至るまで、動物の彫刻はリアルなだけでなく、美しい。その中でも異彩を放っていたのは、カイロでも眼にした「カバの像」(紀元前2000年頃)である。多くが石を彫った物であるのに、これは焼き物らしく、何ともいえない色合いの青い地に蓮の花の紋様が黒で線描されている。害獣扱いをされていたというカバだが、しっかり前方を見据えた眼に至るまで力に溢れた造形美を誇っている。

エジプト美術を見るたびに感じるのは、人間の眼や手は紀元前2000年からいったいどれほど進化したのだろうということだ。答えは聞くまでもない。進化などしていないことはここにある数々の石像が証明している。それなら、人間は他の何を進化させたと言えるのだろう。死んだ後でも生前と同じようにパンを食べ、ビールを飲む生活を送るために小麦粉を挽く召使いの像を墓の中に入れずにいられなかった古代エジプト人の生活の豊かさを思うとき、人と人とが殺し合い、その先にまで思い至らない現代人の貧しさにため息が出てしまうのである。

 2004/3/28 『コーネルの箱』 チャールズ・シミック 文藝春秋

内表紙を開けると、見慣れた女が少しこわばった表情をしてこちらを見返していた。パルミジャニーノ描く『貴婦人の肖像(アンテア)』は、私のお気に入りの一枚で、長らく書斎の壁を飾っていた。もちろん複製だが、好みの額を買い求め、自分で額装したものだ。硝子の中にもう一枚厚手のマット紙を挿入し、二重に封じ込めた密閉された空間に気に入った女性を閉じ込める作業は、相手がうら若き女性ということもあって、『コレクター』を思い浮かばせるどこか背徳的な匂いの漂うものであった。

新聞に載った新刊本の広告に何かしら引かれるものを感じたのだったが、箱の中に秘匿された女性までが共通するとは思ってもみなかった。しかも、多くの箱が乾涸らび、塗料の剥げ落ちた質素な木枠で飾られている中で、無題ながら『ラ・ベラ』と呼ばれるこの作品は、木枠も額を思わせる凝った作りでワニスの艶も申し分がない。その代わり箱の内部はかえって古い壁のように塗り直された塗料が蝋涙のように垂れ下がり、小さな木片を通して細い釘で留められ、展翅板の上の蝶さながらアンテアはその中に塗り込められていた。

「ニューヨークの古本屋や古道具屋を漁って、古い書物、ポスター、小物などを集め、それらを木箱に収めて、小さな宇宙をつくる。それが、ジョゼフ・コーネルの主たる方法だった。人形、白い玉、ガラス壜、バレリーナや中世の少年の肖像、パイプ、カラフルな鳥、金属の輪やぜんまいなどを精妙に配置してつくられたそれらの小宇宙は、子供のころ誰もが親しんだ玩具を連想させる一方で、どこか神秘的で、霊的とさえいえる拡がりをもっている。誰にでも真似できそうでいて、その荘厳な郷愁ともいうべき雰囲気は、この芸術家にしかないオーラをたたえている。」と、訳者である柴田元幸が書いている。

コーネルは地下室に作られた工房でひっそりとこれらの作品を作り続けていたという。何処かに異国情緒やノスタルジーを漂わせる抒情性とアメリカ的な日常性の奇妙な混淆が特徴的で、無意識な自動記述を特徴とするシュルレアリスム芸術の持つ突拍子もない組み合わせからは遠い。たまたま、シュルレアリスムの運動が、アメリカに紹介された時代に遭遇したことが、コーネルにとって幸いした。「絵も描けず彫刻もできずに美術品を作」る男は、こうして生み出されたのである。

著者のシミックは詩人。長い間、彼はコーネルの方法を借用したいと考えていた。コーネルが物について行ったことを言葉で行うという試みだ。それが成功しているかどうかは読んだ者が判断するしかない。オブジェに触発された詩が、オブジェに新たな物語を付す。流行りの言葉で言えばコラボレーションだが、コーネルやシミックの好きな言葉を使うなら万物照応(コレスポンダンス)だろう。共鳴し合う資質を持った二人が至福に満ちた共演を繰り広げている。

男の子は小さい頃から硝子瓶や箱の中に何かを蒐集しなくてはいられない性癖を持つものだが、中には長じてもそれから逃れられず、偏愛の小物を拾い集めては箱の中に組み込んでオブジェを作るような者もいる。箱や瓶は小さいながら宇宙そのものの暗喩である。コーネルの箱は、時代が進むに連れ、詰め込まれる物が減り、最後の方はただただ白く塗られた箱の中にホテルの名が書かれた紙が貼られているようなぽっかりと空いた空間に占有されるようになっていく。それが何を象徴しているのかは作者ならぬ身の知る由もないが、不思議に身につまされるものがある。

 2004/3/28 『シネマ今昔問答』 和田 誠 新書館

吉本隆明や、なだいなだの本でよく見る形式だが、主と客二人による問答形式で話が進行してゆく。客は往々にして年少者であり、主の話を伺うものと決まっている。経験のある年長者が、世間知らずの若者に蘊蓄を垂れるという、落語のご隠居さんが八っあんや熊さんにご託を並べる塩梅で、語る側の楽しさが伝わってくる。ただ、相手が若すぎて話について行けず、会話のリレーが続かないのがさみしい。

和田誠は座談を得意とする人である。形式張った話よりも気楽なおしゃべりの中にきらっと光るものが出る、そういうタイプであることを本人がいちばんよく知っていて、三谷幸喜や瀬戸川猛資、川本三郎らを相手に、映画の話をしては、それに自作のイラストを入れた、映画の本を何冊も出している。瀬戸川猛資亡き後、鼎談の席に空きができ、その後が埋まらないのだろう。主客問答形式は苦肉の策とも考えられる。

題名通り、若い頃に見た映画体験と最近の映画を見比べての感想が中心だが、いちがいに昔がよかったなどという立場はとらない。著者がよく映画を見た高校時代というのは、戦後十年立つか立たない頃で、戦争中には公開されなかった映画が、国の内外を問わず堰を切ったように配給された頃である。質量ともに充実した映画を感受性豊かな時代に経験しているのだから、昔の方がよく思えて当然というところもある。

しかし、歳をとって初めて分かる映画もあれば、その逆もあって、簡単にまとめることはできない。そこで、チャップリンから初めて、戦争映画、リメイク、西部劇とジャンルやテーマに沿って実際の映画について語っていくことになる。邦画もヨーロッパ映画もあるが、主としてハリウッド映画が中心で、日本公開されたものばかりだから、TVで再放映されたものも多く、今の人でも、話題についてゆくことは可能である。ただ、古い映画好きでないと、ちょっと苦しいかも知れない。

ミュージカル映画について、『ウェストサイド物語』以後、大作化し、それ以前のミュージカル映画が持っていた軽さのようなものが失われ、それと同時に楽しさも失われたのではないかという指摘には考えさせられた。また、アステアとジーン・ケリイの比較、ボブ・フォッシーにおけるフェリーニの影響等、読みどころ満載。大好きな『オーシャンと11人の仲間』について、『オーシャンズ11』と比較してシナトラという人の人間的な魅力を書かずにいられないところなど、客観的な語りの中に透けて見える著者の人間味があたたかい。

カバーや表紙、本文に挿入される挿絵は描き下ろしで、本来はモノクロの映画にも彩色してあるのが楽しい。特にカバー表は『インカ王国の秘宝』におけるチャールトン・ヘストンと『レイダース/失われた秘櫃』のハリソン・フォードを上下二段に並べて見せたものだが、ぱっと見には、まちがい探しのクイズかと思えるほどよく似ていて、中を読まないと本当の面白さは分からない仕掛けになっている。

「今昔問答」は、「こんにゃく問答」のもじり。禅寺に参禅したこんにゃく屋が、無言で手振りによって行われる禅問答に対し、取り違えた解答を返すのに、禅僧が、勝手に解釈をして「畏れ入った」と頭を下げる半可通の名僧知識をからかった落語からきている。和田一流の謙遜が入っているが、並み居る本職の監督を尻目に『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』で賞をさらった映画監督としての立場はとらず、一映画ファンの立場をここでも貫いているのは見識である。

 2004/3/20 『雪沼とその周辺』 堀江敏幸 新潮社

いい場所を見つけたな、と思った。それまでもパリ郊外や東京の中心をすこし外れた町と、そこに住む人々をめぐる物語とも、エッセイともつかぬ独特の小説を発表してきた作家が、新しく見つけたのは、どこか北国にある雪沼とよばれる小さな山あいの町である。静かな雨の音や、ひんやりとした大気のにおいにつつまれ、雪沼に住む人たちが、互いにそれとは知らず、かかわりとも言えないほどの細い糸でつながりながら、それぞれの人生を生きている。

巨大な駐車場もきらびやかなホテルもないが、「雪質のいいゲレンデで、静かに、ぞんぶんに滑りたいその筋の人たちには人気の高いスキー場」を持つ、その町には、いかにもそこに住むのがふさわしい住人たちがいる。静かな声で、ゆっくりと話す、自分の人生であるはずなのに、どこかしら無駄な力のぬけた、ささやかながらたしかな日々の空気を呼吸する人々。人生に見合う応分の哀しみと孤独を我が身に引き受けながら、愚痴もこぼさず、担ったものの重さにつぶされもせず、毎日を真摯に生きている人たち。

作家その人を彷彿させる人物が、町の中を歩きながら、友人や出会った人とのふれあいの中で起きる事件とも言えないほどのできごとを淡々と綴るのが、これまでのこの作家の方法だった。それは、それで堀江敏幸という作家の持ち味でもあったが、小説という旧来の枠組みからは意識的にはみ出したような、よくいえば方法論的な試行とも見える反面、どこか正面切って勝負することから逃げているようなところがないでもなかった。

今回の『雪沼とその周辺』は、ひとつひとつの作品はそれぞれが、独立した短編小説でありながら、連続して読むと雪沼という町のクロニクルとしても読める仕掛けになっている。これまで、話者の方に置かれていた作家の関心が、登場人物の方に一歩近づいたのである。それは、随筆家と小説家のあわいという曖昧な境界上に位置することをあえて意識的に選びとっていたように見える堀江の、短編小説家への名乗りととればいいのだろうか。それとも、一時的な試みにすぎないのだろうか。

登場人物たちは、善人ばかりだが、主人公になりうる資格を持つのは、どこか内省的であからさまに自分を語りたがらない人々である。難聴であったり、背が低かったり、不器用であったりと、大きな不幸とまではいえないが、本人にとっては意識から去らない程度のコンプレックスを背負っている人も多い。そして、それぞれが、自分の生きる場所については小さなこだわりを持っている。

『スタンス・ドット』で、閉店が決まったボウリング場のオーナーがこだわるのは、「ストライクのときすばらしい和音を響かせるかわりにかすかな濁りとひずみがまじる」ブランズウィック社製の最初期モデルであるし、『レンガを積む』のレコード店の経営者がこだわるのは、古い家具調ステレオの再生機。『緩斜面』の和凧といい、『送り火』の灯油ランプと、この作家ならではの修飾語を多用した息の長い情景描写に堪える、聊か古風な趣をたたえる小道具選びは、ますます渋みを加えてきている。
  
フランス語の本の話題が出るのは『イラクサの庭』一編であることからもわかるように、給費留学生当時の思い出を生かして書いていた初期とくらべると、より地に足の着いた生活が表現されるようになってきている。作家の成長ぶりが窺えて、ファンとしては次回作が楽しみな半面、今回は、新鮮な風景として目に映じた雪沼とその周辺の人物スケッチだが、パリ近郊の乾いた空気と合理的な気質の中で、日本人の主人公が感じる異和のようなものを主題に据えたときに生まれる著者独特の日本離れした空気のようなものを、日本の湿潤な風土の中で、今後どのようにして保ち得るのかが、老婆心ながら心配になったりもしたのである。

 2004/3/16 『興行師たちの映画史』 柳下毅一郎 青土社

ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で、『魔人ドラキュラ』役で一世を風靡したベラ・ルゴシをTV版『スパイ大作戦』のマーティン・ランドーが演じた『エド・ウッド』という映画がある。バートン、デップで『エド・ウッド』ということで、期待して見た映画だったが、期待は裏切られることはなかった。エド・ウッド、以て瞑すべしである。「史上最低の映画監督」と称されるそのエド・ウッドが、エクスプロイテーション映画を代表する映画人であったといえば、エクスプロイテーション映画なるものが、どんな映画か少しは分かってもらえるだろうか。

エクスプロイテーションフィルムというのは、狭義には「1920年代から1950年代まで、アメリカにおいて、スタジオ・システムの外で作られた映画のこと」である。メジャー・スタジオとブロック・ブッキング契約を結んだ上映館はメジャー制作の映画しか上映しない。そこで、独立系映画製作者は、チェーンに組み込まれていない小さな映画館で上映するよりなかった。乏しい予算と劣悪な環境で最大限の効果を得るため、扇情的な作品で、見世物めいた興行を打つことから「観客の好奇心をそそり、騙し、誘惑して劇場に連れ込む商売が搾取(エクスプロイテーション)と名づけられることに」なったのである。

しかし、映画の祖、リュミエール兄弟やメリエスのしていたことは見世物ではなかったか、と筆者は言う。「知らない世界、禁じられたものへの誘惑。それが見世物商売である。映画は見世物商売として生まれた。」「その直接の後継者がエクスプロイテーションと呼ばれる映画群だ」。今では、すっかり芸術づいた映画だが、本を正せば、観客の欲望を掻き立てなにがしかの金を取るという見世物商売だった。「それこそが映画の本当の姿なのである。それに比べれば映画監督の作家性を論じるなど、ずっと小さな話である。しょせんは映画の一部分でしかない映画フィルムの、その一部を作ったにすぎない存在なのだ。それよりも映画作りのすべてを自分一人でコントロールしようと試みた人間の方がはるかに興味深い。」

何でもそうだが、規模が大きくなれば、機構が複雑化し、作業は分業化され、それが生まれた当時持っていた面白さは薄れていくものだ。分業化の進む映画産業の中で、映画そのものを丸ごと我が手に入れようとすれば、エクスプロイテーションフィルム作家とならざるを得なかったのかのかもしれない。しかし、「夢の工場」として産業化したハリウッド製の映画に圧され、「リュミエールの子たち」は、周縁に追いやられていく。どうまちがっても、彼らの作るものは商業作品であり、芸術ではなかったから、まともに論じられることもなく、際物として冷遇されてきた。これらの映画人やその作品についてこのように詳しく言及されるのは、はじめてではないだろうか。

普通の映画では高額の予算をかけたハリウッド映画に太刀打ちできない。エクスプロイテーションフィルムがめざしたのは、ハリウッドが見せられない映画だ。それは秘境のドキュメンタリーからはじまった。やがて、モンド・ムービーという呼称まで冠せられることになった『世界残酷物語』の成功から、やらせ満載の偽ドキュメントへとエスカレートし、極めつけは見世物の原型とも言える奇形を見せる『フリークス』が誕生する。全編、これ奇形のオンパレードという問題作は、この手の映画では、批評の対象となった稀有な例である。

もちろん、セックスを扱った映画を外す訳にはいかない。意外だったのは、スペクタクル映画の巨匠として知られる『十戒』のセシル・B・デミルがこの種の映画の中に入れられていることだった。そういえば、今にして思えば、不必要なほど、女性の裸が挿入されていた。そういうシーンは決まって、腐敗や堕落を極めた世界を描く場面で挿入されていたが、教訓めかして、これでもかというほど扇情的なシーンを挿入するのは、エクスプロイテーション映画の常套手段である。

映画に付加価値をつけて客を呼ぶのも、エクスプロイテーション映画の手法のひとつである。ウィリアム・キャッスルのギミック映画を扱った一章で、その嚆矢として、『サイコ』上映の際、途中入場を禁じたヒッチコックが論じられていたのには虚をつかれた。なるほど、ヒッチコックこそエクスプロイテーション的なものを最大限、武器にした映画作家ではなかったか。

エクスプロイテーション映画作者の多くは、見世物興行に魅惑され、そこから身を起こし映画の世界に入っていった人たちであった。映画の芸術性などというものをテンから相手にせず、どうすれば、客を呼べるかという事のみを念頭に置いて、乏しい制作費の中での早撮りや撮影済みのフィルムの再利用、同じフィルムに別のタイトルを付けての上映等々の涙ぐましいともばからしいともいえる悪戦苦闘ぶりが、何ともいえない。映画賞などに目もくれず、地方を回っては、観客の喝采だけを頼りに自転車操業を続ける人々の姿はいっそ清々しく、この無償性あってこそ、救われるのだな、とあらためて感じさせられた。

思えば、初めて父に連れられて劇場で見た映画が、日本のエクスプロイテーション映画作者の草分け、大蔵貢制作の『明治天皇と日露戦争』であった。嵐寛寿郎が明治天皇を演じたこの映画で、大蔵が日本の観客に見せたかったのは大衆が見ることのできない生きて動く天皇の姿であった。その後大蔵はピンク映画に移っていく。天皇とセックス、考えてみれば大胆な飛躍だが、観客の見たがっている物を見せるという視点だけは譲らないところが首尾一貫していると言えば言えるのかもしれない。

 2004/3/14 『アメリカの反知性主義』 R・ホーフスタッター みすず書房

前回のアメリカ大統領選挙で、開票にかかわってごたごたがあったことを覚えている人も多いだろう。現在では、本当はゴアが勝っていたというのは周知の事実である。歴史に「if」はないというのが定説だが、もし、ブッシュが負けていたら、今の世界はどうなっていただろうか。9.11に始まるテロ騒ぎやそれに対抗するための世界を巻き込んでの対イラク戦はなかったかもしれない。それでは、なぜ、そうまでして、アメリカはさして賢明とも思われぬ人物を首長に選んだのか。その理由として、企業家による政治支配があるのは誰にでも分かる当然の理由だが、そのもうひとつ奥にアメリカという国が持つ「知性」への嫌悪、反感というものがあったのだ。

大著である。こういうのを労作というのだろう。アメリカにおける反知性主義的な動きを牧師の説教や大統領の演説、学者や作家の書いた物の中から幅広く渉猟し、この近来稀に見る大国の中に蔓延る「知性」的なものに対する反感をあぶりだしている。はじめに言っておく必要があるが、ここで問題にされているアメリカは、確たる根拠もなく外国を攻撃する現代のアメリカではなく、1950年代、マッカーシズムの嵐が吹き荒れた頃のアメリカである。考察の対象とされた時代は、建国からJ・F・ケネディの時代まで、対象とされた人々は、社会の上層部、政治家や学者知識人、宗教家、作家という国を動かしていく立場に置かれた人々である。

一読して感じるのは、ある種の語彙から受ける古めかしさ(たとえば、ビート族、ヒップスター等の)である。ニューディールなどということばは、すでに歴史的な語彙として感じられるのか、かえって古めかしさを感じないのに、より現代に近いことばの方が、古びてしまうのは、「流行」というものの為せる業でもあろうか。しかし、その一方で記されている内容は、そのまま現代のアメリカを語っているものと読んでも通じるくらい古さを感じさせない。瞠目すべき分析がある訳ではないが、自国の歴史を書くときに歴史家が陥りがちな自国礼賛という悪弊から一歩身を引き、客観的に分析することができた筆者の功績である。アメリカという国が繰り返してきた知性蔑視とその反省に立った知性重視の歴史の中で、現在はまちがいなく「反知性主義」が勢力を握っていることが、引用文から伝わってくる。

アメリカには過去がない。歴史を感じさせる遺跡もなければ、神話や古代の芸術、文学もない。ピューリタンに始まる彼の国にとって、そこから逃れてきたヨーロッパは、退廃と悪徳、偽善の巣窟であった。過去を振り返り、そこから学ぼうという心性の持ちようのない国としてアメリカは出発している。当然、貴族階級というものはなく、せいぜいがジェントルマン階級の所有する富を背景に国づくりがなされてきた。パトロンというものがなく、事業家たちがその代わりを努めたわけだが、その多くが自助努力の人たちであった。「叩き上げ」の人を尊敬する気風は、建国の父たちの時代から培われてきたアメリカの精神である。

それでも、ニューイングランド時代には、大陸で受けた教育が新しい国を作るために重用された。しかし、西進を続けるうちに、荒々しい地平を開拓できる力、言動より行動、という直接的な能力が信奉されるようになった。ことは宗教においても、かわらない。もともとプロテスタントであることから聖書以外に本を読む必要を認めない。様々な儀式や教義に詳しい知識階級としての宗教家よりも直感的に民衆に訴えかけることのできる伝道家が力を持つに至る。知性というものが、過去のヨーロッパ出来の御託ばかり並べて、行動しようとしない、お上品な上流階級の飾り物のひとつのような扱いを受けるに至ったわけは、アメリカという国の歴史と深い関わりがあったのだ。

「反知性主義」は、アメリカの歴史を通して伏流水のように一貫して流れ続け、何かことがあるたびに一気に噴き出す。現在、行なわれている大統領選の前哨戦においても、軍歴の有無が重要視されていることは、いうまでもない。軍歴でなければ大学時代フットボール選手であったことでもいい。本を書いたり、大学で学位を得たことなどは指導者の資質としては男性的でないと感じられ、かえって不利にひびくというお国柄である。デューイの教育論が、反知性主義とどう結びついたか、教師の地位の低さなど、教育の問題は、学力低下が叫ばれる我が国の教育問題を考える上でも貴重な考察を含んでいる。大冊ではあるが、内容は平易である。常日頃、アメリカが変だと感じている人にお勧めしたい。

 2004/3/7 『十二夜−闇と罪の王朝文学史』 高橋睦郎 集英社

近親相姦が禁忌とされたのは人間の歴史の中でいつの時代からなのだろうか。遺伝子のもたらす悪影響など知らぬ太古の昔から、我々の祖先たちが近親相姦のもたらす結果を恐れ、それを忌み嫌いながらも、一方で、禁忌とされることによりなおいっそう惹かれるというアンビヴァレンツな心理に置かれていたことは、近親相姦とそれのもたらす悲劇がオイディプ−スの物語をはじめ、多くの神話に繰り返し現れることを見ても明らかである。

本朝の文学史においても事は同じである。源氏物語を例にとれば、「源氏の藤壺への恋情の罪の正体は、父の思い者への恋情であることを超えて、成人にとって禁忌である母なる者姉なる者への恋情であることに在る」といえる。『伊勢物語』における「むかしおとこ」が斎宮と交情を結んだことが東下りの原因になるのも、源氏の須磨への配流も、今ひとつ付け加えるなら倭建命の西国遠征と姨倭比売命との関係もみな、天照大御神と須佐之男命の宇気比(高橋はこれを性行為を指すと解釈する)により、須佐之男命が追放されたことの模倣と反復である。

高橋はこう結論する。「いずれにしても、わが国の古代文芸を通じて流れる大きな主題のひとつ、伊勢の女の正体は、成人男子にとって禁忌の対象である母なるもの・姉なるものだった、とだけはいえよう。(第九夜「伊勢の女」)」『古事記』、『源氏物語』、『伊勢物語』が、こうして母なるもの・姉なるものへの恋慕とそれを罪とする追放・流浪の物語に収斂する様は、いっそ見事と言えよう。

原始時代、家と家とは対立していた。対抗上、一族で家を固める必要が一族婚を生んだのだろう。天皇家の近親姦的一族支配がそれだが、神話には兄妹婚とそれに対する怖れが執拗なまでに反復強記されている。それを毀した藤原氏もまた、権力を握ると一族支配を始め、それは武家の支配する時代となっても代わらず反復されることになる。一族支配とは支配が成立した後は一族内で権力を争うということである。これにより、近親婚は近親殺を生む。「わが国の古代が近親姦(近親婚)・近親殺の引力と斥力の相克の期間だった」というのが高橋の説である。

定家の百人一首でもって、その時代(翠帳紅閨)を総括し、「以後の文芸の徒は翠帳紅閨を、ひたすら柴扉桑門を通して遠望することになる。」翠帳紅閨とは近親婚即ち王朝時代を意味し、柴扉桑門とは異族婚の時代、つまり、中世からこちらを意味している。その予言的先行者西行が崇徳院の御陵を訪る「僧形の旅人が此を通して彼を忍ぶ構造はそのまま」複式夢幻能の世界に通じている。

能の演者の原点は、一般に考えられるシテではなく、むしろワキだったのではないかという考察から、王朝時代の死者を弔う装置としての複式夢幻能の成立という論を立てる「もう一つの夜−王朝を弔う」は、もともと王朝文学史を扱った十二夜のあとがきと考えられていた。しかし、能にあって弔われている対象が、妻問い婚という習慣の陰で待つことを運命づけられた女性や身分の低い下郎、果ては異形の者にまで及んでいることに気づいたとき、別立ての一章となった。

「思うに上層の恣意によって作られる歴史のマイナス面は、いつも下層の者によって浄められてきた。いや、これからも浄められていくのではないか。時と所とを問わず、芸術と芸能とを問わず、表現者が立つべき位置はここでなければなるまい」という昂揚した結語は、高橋がかつて三島の薫陶を受けた詩人であったことを思うとき、なおさらに感慨が深まるものがある。

 2004/3/7 『絵画と現代思想』 酒井 健 新書館

著者は、序論で、自己の観念的な世界に留まり、独善的な解釈でしか絵画を見ようとしない所謂近代以前の「思想家」と著者のいう「現代思想」とを区別する。そして、現代思想の一つの特徴として「観念の世界を相対化し、その外へ、感覚の世界へ飛び立ってゆこうとするもの」をあげる。それは、たとえば、ニーチェの言う「善悪の彼岸」、バタイユの「非−知」の世界を指し、西欧的近代が絶対視した理性的な自我を批判しつつ、感覚界の対象を肉体的に体感することをめざすものである。しかし、当然のことながら、思想家の言葉は直感的な見解であり、実証的でない分、生き生きとしてはいるが、説得力に乏しくならざるをえない。

絵画、特に印象派以前の絵画を見るのに、図像解釈学を用いるのは今では常識と化している。画家の描いた動物や植物が、そのものを表現しているのでなく、百合なら「貞節」、狐なら「狡知」等の寓意的表現だからである。しかし、その一方で、すぐれた画家であればあるほど自分の見た感覚的特性を絵の中に盛り込まずにはいられない。そこで、絵の中には、観念的な側面と感覚的な側面が共存することになる。その結果、慈愛の画像たるべき聖母の顔が不気味な表情を浮かべるという異様な事態が出来するのである。

「現代思想の推進者たちの直感的な言葉が光彩を放つのは、この時なのだ。図像の矛盾、観念界との画家の乖離、感覚界への画家の執着の在りようを問おうとするとき、芸術とのコミュニケーション体験に根ざす彼らの言葉は光に見えてくるのだ」。著者の意図はここにつきる。絵画の露呈した矛盾、乖離、執着といった、いわば、絵画の存在の様態が、安穏な見方を拒否するようなあらわれを見せるとき、現代思想の推進者である、バタイユやニーチェの言葉を手がかりにしながら、より実証的な手順を踏んで、画家の描こうとしたもの、思想家のつかみ取ったもの、あるいは、描き損ね、掴み損ねたものを明らかにしようという試みである。

採り上げられている画家と思想家の組み合わせは、以下の通り。まず、ルネッサンス絵画について、レオナルドとニーチェ。次にホルバインとフロイトというコンビで「死の遠近法」を、次いでゴヤとバタイユ、ゴッホとフーコー、カンディンスキーとコジェーブ、トゥオンブリとバルトというなかなかに興味深い顔合わせになっている。必ずしも、見出しに挙げた名前の思想家が前面に出ているという訳ではないが、著者の専門がバタイユということもあって、ことバタイユについては、多くの章で言及されている。

ロンドンのテートギャラリーで見たレオナルドの描いた天使が心に強い印象を持って記憶に残っている。今まで見た数多くの絵画の中でも、最も美しいとさえ思える顔であるのに、美しいにはちがいないが、この世のものとも天上の物ともつかぬ異様な微笑みのせいか、素直に共感できないのだ。どこにその理由があるのか、長い間気になっていた。その秘密が、著者の読解で、すこし分かりかけたような気がした。しかし、そのすべてに共感したとまでは言えない。

専門がバタイユということもあるのだろうが、ゴヤやゴッホのように、どちらかと言えば、ディオニッソス的な絵画についての読解は共感できるものが多い。しかし、レオナルドのようなルネッサンスの幕を開けた天才も、著者の手にかかると挫折した敗北者とされてしまう。その解釈をどうとるかは、読み手であるこちらにかかっていると言ってもよい。そういう意味では、刺激に満ちた清新な論考と言えるだろう。
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