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 2004/2/20 『マジェスティック』 フランク・ダラボン 監督 

ハリウッドの赤狩りを描いた映画はいくつかある。しかし、数年前に公開された『真実の瞬間』もそうだが、非米委員会に心ならずも協力した関係者が多いハリウッドでは、この問題を描くとき、今ひとつ切れ味が悪くなるのは仕方のないことかもしれない。エリア・カザンのアカデミー特別賞の受賞に反対の意を表した監督や俳優も少なくなかった。この問題は今も開いたままのハリウッドの傷口なのだ。

特別な主義も主張も持たない脚本家、ピート・アップルトンは 大学時代、つき合っていた女性の関心をひくために集会に参加したことがあった。それが理由で、彼は共産主義者のシンパサイザーと見なされ、非米委員会の追求を恐れた撮影所は彼を解雇する。理不尽な放逐に自暴自棄となり、泥酔したまま車を走らせたピートは、運転を誤って車ごと橋から落ち、その結果記憶をなくしてしまう。彼は、ローソンというスモールタウンの住人に救われるが、なんと、その町には、彼と瓜二つの行方不明の兵士がいたのだ。

彼は、その若者ルークとまちがわれ、大歓迎を受ける。ルークは町の人気者だったのだ。さびれた映画館を建て直し、ルークの恋人との恋愛も深まるある日、自分の作った映画を上映しているうちに彼は記憶を取り戻す。あらためて委員会に臨むピートだったが、それを読めば転向したと見なされ職場に復帰できる供述書を読むことを拒否し、その代わりに合衆国憲法第一条を読み上げるのだった。それは彼がまちがわれた若者ルークが戦地から恋人にあてた手紙に同封されていた遺品であった。

アメリカという国は、自国が何かの脅威を受けたとき、奇妙にヒステリックな反応を示すことがある。当時のアメリカには、マッカーシズムの嵐が吹き荒れ、憲法が保障する思想信条の自由が、有名無実のものと化していた。共産主義者、あるいはそのシンパサイザーは反米であるとされ、社会のあらゆる場から放逐されたのだ。この映画はそういう時代背景を背負っている。過去の話ではない。今は少し風向きが変わったが、9,11以来、アメリカには愛国主義の気風が蔓延し、大義名分のない戦争が引き起こされているのに、それを批判する者は反米主義者として抹殺され、自由な議論が封殺されていたのは知っての通りだ。

ローソンという町は先の大戦で多くの戦死者を出したことで、国から表彰を受けていた。その功を示す英雄の勲章を手に、ピートは語る。ルークをはじめとして、小さな町からは多くの戦死者が出たが、彼らが守ろうとしたのはこんなアメリカではない。もっと、大きなアメリカ、自由と民主主義の大義に生きるアメリカだ、と。この言葉が重い。ジム・キャリーの姿が『スミス都へ行く』のジミー・スチュアートに重なる。僕らの好きなアメリカがここにある。自由と民主主義の国アメリカである。ピートの言葉は、直接的には非米委員会に向けられた言葉である。が、間接的には、今この時代に映画を見ているアメリカの観客に向けられているといってもよかろう。

アメリカにはひたすら好戦的な愛国者ばかりがいるわけではない。自由と民主主義という建国の精神を信じ、法という紙に書かれた言葉、ただそれだけを頼りに、弁舌で人の心を揺り動かすという、まるで絵空事めいたシチュエーションを信じる若者もまたいるのだ。それらの若者は、国家を牛耳る実力者たちに比べ、いかにも非力に見える。しかし、そのイノセンスが、若い国であるアメリカの良心と、奥深いところで共鳴する。時にどうしようもなく物分かりの悪い国に見えるアメリカだが、その内部に、それとは別のアメリカが必ず潜んでいる。それが、アメリカの本当の強さではないのか。そんなことを感じさせてくれる映画である。

 2004/2/15 『鉄の花−町工場短編小説集』 小関智弘 小学館

読み終えて表紙を閉じると、光を受けて輝く切削屑(キリコ)の表面に浮かぶ磨かれた金属の光沢と工場の油のにおいが懐かしく甦った。父は、小さな町工場で旋盤工をしていた。小さな頃、一度だけ、父の働いている所を見たことがある。日傘をさした母につれられていたのだから、夏の盛りだったにちがいないが、工場の中は暗く、仲間に呼ばれて顔を出した父の顔も、家で見るそれとはちがって、機械油に汚れて黒ずんで見えた。しかし、表情や身のこなしは精悍で、油に汚れた服装にもかかわらず、家にいるときよりも若く見えたのを覚えている。

『鉄の花』には「町工場短編小説集」という副題がついている。全六篇のどれもが町工場で働く人を主人公に据えて書かれている。著者の小関智弘氏自身が旋盤工として働きながらずっと執筆活動を続けてきた人である。町工場で働く人の技術を紹介したルポルタージュを読んで、その文章と、職人たちに注ぐ視線の確かさに注目していた。その小関さんの書く小説だから、読む前から楽しみにしていたのだが、予想以上に堪能させてもらった。

高橋和巳の『我が心は石にあらず』には、小説の中にマイクロメーターの図が載っていると、友人が笑って教えてくれた記憶がある。恋愛も出てくる小説と工場の機械というのは、今ひとつ相性が良くないような気がしたからだろう。ところが、どうして、ここに書かれた旋盤やフライス盤は鉄光りのする硬質な輝きが重厚な存在感を示して小説世界を支えている。作中の主人公は、どの男もまるで機械に恋をしているように、機械と心を通わせている。それは、文中の「特需」という言葉からうかがえる戦後の頃から、イラク戦争についての言及から分かる近作まで、主人公の年が、見習工から五十をすぎる年齢に変わっても、まるで、人間より機械の方が信じられるというように、見事に揺るがない。

定盤にアタリをつける金型職人に、父を亡くした若い見習工が憧れにも似た思慕を寄せる姿をさらりと掬いとってみせた「天井の車輪」。旋盤に使う「バイトの刃先は、鉄を削っている間は鉄に触っちゃいない」。鉈が薪を切るのでなく、鈍角に研がれた刃の腹の部分で割っているように、旋盤のバイトも実は鉄を割っているのだという。高速顕微鏡でもなくては見られない世界だ。しかし、見えないが、確かにあるものを信じることができなければ、人を愛することもできない。それに気づいたとき、男は心を決めた。工場の事務員をめぐる男二人の心のやり取りを淡々と描く「新参者」。

百分の一ミリの精度を要求される旋盤の仕事では、名指しの仕事もまれではない。それを言われた通りに仕上げて納めたときの満足感は、他に代えがたいものがある。熟練工の誇りだ。しかし、その技術が時代遅れになる時が来る。コンピュータ制御の旋盤が、男たちに代わってその仕事を果たす時代である。こんな時代では、町工場の熟練工を描く小説は難しかろうと思ったが、意外にコンピュータ導入後の町工場の世界も描かれている。

コンピュータ時代についていけなくなった熟練工に代わって就職できそうな失業中の男が、熟練工の実力に触れ、自分は身を引く「ことば」。自分の作ったコンピュータ制御の旋盤を買ってくれた町工場の三十年にわたる盛衰を描く「二度咲き」。コンピュータ制御の時代になっても、男たちは機械への愛着を失わない。ただ、かつてはすべてを手が受け持つことができた。コンピュータにはハンドルを回す手でなく、「ことば」でこちらの思いを伝えなくてはならない。その分、男と機械の間には距離が生じた。若い工員が、熟練工をまぶしく見つめる視線に込められた熱い思いのようなものは喪われ、小説の後味にも幾分か苦いものが混じるようになった。

他に、川の中から金気の物を探し出す商売のことを書いた「淘(よな)げ屋」。坂の下にある居酒屋に集まる人々の人生の哀歓を輪舞(ロンド)形式で綴った「ばっけの客」を含む。どれも、その世界ならではのことばと人生にあふれている。特に新しくもなく、目立つようなものは何もない。が、使い込まれた小説技法と、無駄口を利かぬ語り口に乗って、一気に読まされてしまう。最近読むものがなくなったと嘆く、人生に疲れを感じはじめた世代におすすめしたい。

 2004/2/8 『新たな生のほうへ』 ロラン・バルト 石川美子訳 みすず書房

おそらく気質的なものだろうが、長編より短編小説が好きだ。人生の真実や世界の在り様について長々しく語られるより、その一断面をできるだけ鮮明に切り取って見せられる方を好む。そういう意味で、断章形式を得意とするバルトは、御贔屓のひとりであった。文章に気取りがなく、知的ではあるが、変に気難しくないのも気に入っていた。

構造主義者、あるいはポスト構造主義者と呼ばれる錚々たる顔ぶれの中にあって、重要な位置を占めるバルトだが、本人は常々、他の哲学畑出身の仲間とは異なり、自分の領分は文学だと語っている。それかあらぬか、最後には、小説の執筆を考えていたらしい。『新たな生のほうへ』という表題は、バルトが構想していた小説のタイトルでもある。残念ながら、自動車事故による死によって、その企図は達成されることはなかったが、何度も書き直された自筆の遺稿ノートが、見開きページに対訳つきで紹介されている。

『偶景』などを読むと、バルトが小説的なものを考えていたことは充分に想像することができるものの、断章風の短いテクストが、意図的に断片的に配置される形式からは、バルトが夢見ていたというトルストイやプルースト的な小説像は浮かび上がってこない。

書かれた作品は既に他者のもの(作品の死)、作者は作品を生きることはできない(作者の死)、という言表を既に明らかにしているすぐれて批評家的な資質を持つバルトにとって、遺されたノートから窺うことのできる、ほとんど実人生に寄り添った形の小説は、どのようにして可能だったのだろうか。

そのヒントになるのが、プルーストがそれまでの試作段階を経て、大作『失われた時を求めて』を執筆する後期に至る「謎」について書かれた「固まる」という短い文章である。バルトは、母の死という実人生上のできごとが、作家にあの大作を書かせたという決定論を信じない。創作の次元での技法を発見したことが、その理由だと言う。

バルトによれば、発見されたのは次のような技法(のうちのいくつか)である。(一)「わたし」を語るための一つの方法。すなわち「わたし」が作者なのか、語り手なのか、主人公なのか。どれをさすのか決めがたい独特な表現様式。(二)最終的に採用した固有名詞の真実(詩的な)。(三)スケールの変化。(四)最後に、プルーストがバルザックの『人間喜劇』のなかで発見した小説構造。「同じ人物をあらゆる小説のなかで用いたというバルザックの素晴らしい発明」である。

皮肉な巡り合わせというべきか、「訳者あとがき」によれば、77年12月の母の死以来、バルト自身が打ちのめされていたらしい。世界を愛せなくなったバルトは今までとはちがう新しい「バルト」を必要とした。それが、「わたし」の導入であるというのが訳者の説だ。「わたし」と、簡単に言い切れるほど、「わたし」は自明ではない。自分を指して「嘘がつけない」と言ったバルトが、あえて、「わたし」と書くには、「わたし」の虚構化が必要であった。

母親の死という実人生のできごとが作品を生み出すなどという決定論を信じないと言うバルトにとって、プルーストが発見したような技法上の発見が自身にもまた必要だったことはいうまでもない。遺された八枚のノートには、いかにして、小説という虚構を自分のものにするか、「作家」としてのバルトの苦闘が見えるようだ。書き直しては消し、また、書き直す。そこには、「テクストの快楽」を謳う軽やかなバルトはいない。創造者の苦悩は、創造する者のみが知る快楽を伴うものかもしれない。しかし、作品が書き上げられてこそ、その悦びもあるというもの。

その挙げ句が事故死による断絶である。誰のもにせよ死を弄ぶことはすべきではないが、私にはバルトの死が、トルストイやプルーストのような小説という自己の資質からは遠いものに憧れた故のイカロスの失墜のように思えてならない。本文所収の78年から80年の間に描かれた、それこそ断簡零墨というべき、テクスト群から伝わってくるバルトの声の調子は様々だが、バルト自身が、「おだやかな形式」と呼ぶ『クロニック』の「格言のような気取りがなく、警句のような辛辣さもないもの」「ようするに故意にマイナーであろうとする形式」に盛られた「小さな世界」を語る声は、もう聞くことができない。それがいかにも残念である。

 2004/1/31 『森有正先生のこと』 栃折久美子 筑摩書房

栃折久美子という名は、日本にルリユールという造本の仕事を根づかせた名として記憶している。フランス装という造本の仕方がある。かっちりとした厚紙を芯に美しい紙や布を貼った表紙を持たず、四方を内側に折った紙を簡単な表紙にした、いかにも仮綴じという感じのするその造本が洒落たものとして輸入され、一つの造本術とされているが、実は、フランスでは、そうして仮綴じされた本を、もう一度製本し、好みの革表紙をつけたりするのがいわば普通で、ルリユールとは、そういう造本作業のことを意味している。栃折久美子は日本におけるその第一人者である。

森有正は、その名前からも分かるように、森有礼の孫にあたるフランス在住の学者である。その著作に触れたことはないが、何かの折りに名前が出てくることがあり、記憶の底に引っかかっていた。この本は、フリーランスの装幀家として独立した著者が、森を知り、その著作を読むことで、傾倒し、私淑してゆくに連れ、森の信頼を得、ほとんど私設秘書のような存在と化し、やがては結婚の対象とまで考える関係に至る過程を「大学ノート二十三冊、積み上げると高さ二十センチメートルをこえる」著者の日記をもとに書き起こしたものである。

パリに客死した孤独な思索者といった趣の強い森有正との恋愛をこれもまた著名な装幀家が告白した本ということで、年の離れた大学教授と若い女性のよくある関係を想像されるといけないので、はじめに言っておかねばならないが、そういうどろどろした男女関係は皆無である。

夏ごとに日本に帰省する学者は、身辺雑事に疎く、下着を買うのも、牛乳を買うことも一人では満足に出来ない。筑摩書房に勤めていた著者は、頼まれた本を探したり、口述筆記をしたり出来る頼りになる存在として、学者の頼みを一気に引き受けることになる。著者には、自分を変えるほどの力を持つ思索者の生身の姿に触れることのできる悦びがある。こうして二人は二人三脚のような生活をはじめることになる。

一夜にして六十枚の原稿を書き言葉として口述筆記させる力を持つ人が、自分の下着も買いに行けないという、アンバランスな存在として描き出される森有正に名状しがたい迫力がある。また、回想記の作者である著者の知的で硬質な文章から想像されるてきぱきとした実務家的な才能と、思い込んだら一直線に突き進む情熱が混在する人間性の魅力が行間から溢れ出している。

どろどろした恋愛関係は皆無と書いたが、ただ身の回りの世話をし、ともに食事をしたりするだけの日常の中にも、少しずつ男女の関係(精神的な)が深まってゆくのが、何気ない記述からも窺える。学者の冗談とも本気ともつかないフランスでの納豆作りの話に笑っているばかりだった著者が、次第に料理の食べ残しを学者に食べてもらったり、学者が著者の飲み残しのワインを飲んだりするようになってゆくあたりは、濃厚な男女の関係の深まりを感じさせる。

やがて、学者からの唐突なプロポーズめいた言葉があり、著者が「自分からタイミングを外した」「タイミングを計り損なって時を失った」という応答があり、二人の関係は疎遠なものになってゆく。その頃、著者にとってのライフワークともいえるルリユールを学ぶ留学経験が重なっているのは、何か運命的なものを感じさせる。

森有正という稀有な存在との関係を描きながら、陳腐な言い方になるが、この国初のルリユール作家として自己実現を成し遂げてゆく著者の自伝ともなるこの一作は、フランス風の明晰なスタイルで綴られた、きわめて硬質な叙情性を排した恋愛小説とも読める。森有正の残した本を読んでみたくなったことは言うまでもない。青い表紙の本は著者自装による。

 2004/1/24 『霧のむこうに住みたい』 須賀敦子 河出書房新社

須賀敦子の単行本未収録の作品を29編集めたもの。よくこんなに残っていたものだとあらためて感じたが、珠玉のという形容がぴったりくるような味わい深い作品が集められている。その構成は、イタリアの街と人をこよなく愛した著者らしく、ひと刷毛でさっと描いた淡彩画のような人物スケッチ、それに、イタリアの街について書かれたもの、そのいずれにもはいらないものの三つに分けられる。

なかでも、日本に帰った著者が、折にふれ思い出す回想のなかの人物を描いたものが、手慣れていてうまい。特に有名な人物でも、奇矯な人でもない、ごくごくありふれた市井の人物をその独特な落ち着いた筆致で描き出す筆の冴えは余人の追随を許さない。

その中で、人物編の最後に置かれたナタリア・ギンズブルグについて書かれた一編だけは他と比較して長いが、現代イタリア文学を代表する一人であり、著者はその作風にひかれるものがあって日本語訳をかって出ている。かつてはプルーストの翻訳家として知られた作家の思いがけない社会参加について著者は違和感を禁じられないらしい。めずらしく次のように述べている。

「ずっと以前、友人の修道士が、宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は思い出した。文学にとっても似たことが言えるのではないか。」

文学者も現代社会に生きる一人としてアクチャルな問題に関わってしかるべきだと思う。そのことに関して、多分著者に異論はあるまい。「すぐに」という部分が問題なのだ。『となり町の山車のように』の中に、次のような一節がある。

「思考、あるいは五官が感じていたことを、『線路に沿って』ひとまとめの文章につくりあげるまでには、地道な手習いが必要なことも、暗闇をいくつも通りぬけ、記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、燦々と光を放つものに仕立てあげなければならないことも、まだわからないで、わたしはあせってばかりいた。」

年へて、それを自分のものとし、その自分に近い感性を持った作家と感じていただけに、今起きている問題に対して、時を置かず意見を作品という形で発表するナタリアの態度に著者が異和を感じたのは理解できる。先の文につなげて、こうも書いている。「『線路に沿ってつなげる』という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。だが、同時にそれだけではいい物語は成立しない。いろいろな異質な要素を、となり町の山車のようにその中に招きいれて物語を人間化しなければならない。ヒトを引き合いにもってこなくてはならない。脱線というのではなくて、縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ。」

人が、今起きている問題について何かの意見を発表したり、行動を起こしたりする場合、当然そこには論理の縦糸が通っている。人間についての専門家である作家ならなおのことだ。ただ、そこに異質な要素、自分の領分ではない『となり町の山車」のような部分を招じ入れ、どこから見ても厚みのあるリアルな世界にしてから人前に差し出すのが作家の仕事だと、この遅くに出発したひとは、知ってしまっている。

「みなが店をばたばた閉めはじめる夜の街を、息せききって走りまわっている自分を想像することがある」と、作家は言うが、一日中訪ねても得られず、むなしく家に帰ろうとした夜の街で、こんなところにと思うような場所に一軒の店を見つけ、そこに探しあぐねていた品を見つけたときのような満足感がこの人の書くものを読んだ後にあるのもたしかだ。

相手の求めに応じて、幾分かは軽い調子で書いたものが間に挟まっているのもいい。そのむだのない選びぬかれた言葉が、原石を磨くような作業の果てにあるのだということを感じさせないことこそ何よりたいせつなことであろうから。

 2004/1/10 『泣いてくれるなほろほろ鳥よ』 小沢昭一 晶文社

小沢昭一は言わずと知れた名優だが、早稲田時代からの僚友、今村昌平監督作品をはじめ、多くの映画で、独特の個性的な役柄を演じ分けている。まず、格好いい役はやらない。へんな日本語を喋る中国人だとか、女郎に騙されて心中してしまう読み本売りだとか、どことなく世間からはみ出てしまう人物を演じさせたらこの人の右に出る役者はいないだろう。舞台役者としては、近年は『唐来参和』などの一人芝居をひっさげて各地を公演して回っている。

そのほかにも、この人にはいくつかの顔があり、この頃ではTVに圧されて、かつての人気を失ったラジオというメディアに固執し、「小沢昭一的こころ」という番組を続けている。これはラジオ界きっての長寿番組を誇っている。或いはまた、角兵衛獅子やごぜ歌のような日本各地に残る門づけ芸の収集家としても知られている。『日本の放浪芸』シリーズは、その貴重な記録である。

旅回りの役者であり、放浪芸の収集家でもあるのだから、当然のことだが、旅に出ることが多くなる。著者の言葉を借りれば、旅が日常的で、自宅にいることの方が新鮮だというのも満更誇張でもなかろう。本当は、放浪型ではなくて、定着型だと自認する著者が、仕事で、或いは仕事をはなれて(といっても完全に仕事抜きの旅は少ない)の、取材旅行も兼ねた気ままな旅の空で、見聞きしたこと、考えたこと、旅先で好い宿を見つけるコツ等々、まあ、要は旅のあれこれを独特の語り口調で書いたものを集めた随筆随談選集の第一巻である。

巻頭に置かれた一編に、書かれているのは、旅館の選び方。「私の宿泊は、出来ればホテルを避けるが、旅館の場合、その選び方は、構えの大小でも、『政府登録』のマークでも、運転手さんの推薦でもない。建物の木口がしっかりしていること。玄関の電気の明るいこと。見るからに掃除、手入れが行きとどいていること(玄関にまかれた水にダマサレナイようにする)……などを目安にして決める。あたりはずれはもちろんあるが、これで失敗例は少ない。」と、細かい。

旅館にそうまでこだわるのは、気持ちのいい落ち着ける居場所を求めてのこと。小沢氏、実は枕が変わると落ち着かない定着型の人。そんな人が、仕事柄、出なければならない旅先で、旅に疲れない方法を見つける。「それは、自分の暮らしの習慣、くせ、好み、型のごときものを、家を出るときに置いてくるということ」である。「自分とは別の人格に扮する気持ちで、一種のゴッコを楽しむ」という、まあ、役者ならではともいえるプレッシャーの解決策。飲まない酒を嗜み、ふだん読まない種類の本を読むという、他愛ないような非日常を演出するだけで、のびのびと旅することが出来るようになったという。しかも、副産物として、家に帰ってからの生活が変わる。旅先で試したパン食のおかげで、今まで食べなかったパンを食べるようになったそうな。

ひとり旅を好み、ひとり劇団を主宰する氏のこだわりは「小さいもの」への偏愛である。「むしろ小さいものの方が、洒落ている、粋だ、切れ味鋭い、という固定観念を持っております。(略)くいもの屋などもそうです。構えの大きくない店が性に合っています。私の行く店は小体な店ばかり。(略)そういう店に限ってうまいものが出てくるにちがいないのです。」

著者の小さいものへのこだわりは、失われてゆくもの、滅びゆくものへの愛着と根っこの方でつながっている。滅び行くものがみな美しいわけではない。ただ、時に利あらず、大切なもの、美しいものが人知れず消え失せてしまうことがある。小沢が、それらに執着し、何とか止め置きたい、止め置くことが出来なければ、せめて紹介だけはしたい、と心を砕くのは、それらとは反対に、大きいもの、強いもの、隆盛を誇るものが、時として見せる、傲慢さ、尊大さ、無神経さを彼が心底憎んでいるからではないだろうか。

美人の話やうまいものの話、或いは温泉と旅を満喫させてくれそうな話が満載だが、著者のそうした美意識にそぐわないものはいっさいシャットアウトされている。「何でもない町の、何でもない一角で、しかし自分ひとりで見つけた、自分だけの郷愁」。著者が旅行鞄に詰めて帰ってくるのはそういうもの。温泉ブームで、若い女性の間でもそのての情報が飛び交っているらしいが、そんなものを求めても得られはしないことを予めことわっておきたい。

 2004/1/4 『於染久松色讀販(おそめひさまつうきなのよみうり)』 東京歌舞伎座

正月というのは、とかく暇なもので、仕方がないからTVでも見ようかとスイッチを押すと、騒がしいだけが売り物の若手お笑いタレントとやらの缶詰番組ばかり。それが嫌さに、暮れに放送された歌舞伎番組を録画しておいた。さすがに暮れは忙しく、歳の暮れの気分を味わおうにも二時間以上もある芝居を、落ち着いてじっくり見ている暇はない。録画しておいたのは正解だった。

肉は腐りかけがもっとも美味だと物の本にあるが、鶴屋南北がこれを書いた文化文政の時代というのは、いわば江戸文化の爛熟期、肉で言えば、ちょうど腐りかけてきた頃である。退廃的な気分は話の筋立てにも強く表れている。質商油屋の娘お染は許嫁のある身でありながら丁稚の久松と恋仲となり、すでに身籠もっている。二人の恋の行方が一応主筋だが、丁稚久松、実は武家の出身というプロットがミソ。お家の家宝の名刀を紛失した責任をとり、家名断絶、久松も丁稚奉公をしながら刀の行方を探し家名の復興を期しているという副主題が挿入されることで、登場人物が多彩になり、ストーリーに起伏がもたらされる。久松の実の姉竹川に仕えていた土手のお六が、絡んでの強請の一幕も用意され、いかにも南北らしい芝居になっている。

曲がりなりにも儒教倫理が支配していた江戸期であるのに、この芝居、使用人が主筋の娘を襲ったり、主人が元使用人に金の工面を無心したり、と関係が逆転している。すでに儒教倫理では律しきれない弛みが生じてきている。体制の揺らぎを庶民は感じ、戯曲家はそれに呼応して舞台に載せたのだ。一方で、封建的な主従関係は、自由な感情の表出を束縛する方向に働いてもいる。油屋の後家貞昌は娘の気持ちを知りつつも後添え故に亡き夫の遺言にある縁組みを墨守せざるを得ない。今はしがない賃商いで生計を立てている煙草屋の女房が、昔仕えた縁で主家の苦境を救うために百両の金を作ろうと強請までしなければならない。

共同体が押しつける「義理」と、にもかかわらず奔出する「人情」との葛藤がドラマを構成している。もっとも、どちらかといえば、義理による束縛より、自堕落な気分の方が勝っているところが化政時代か。『四谷怪談』ほどではないものの「死人」「棺桶」等、南北好みのグラン・ギニョール劇めいた素材が散見されるところに時代に色濃い倒錯趣味がよく出ている。別名「お染の七役」という通り名を持つように、「早替り」という「仕掛け」が、芝居の呼び物となっている。主題より表現法、内面の心理より表層の奇抜さを追うのも時代の個性というべきか。

前半「妙見」の場面では、芝居の大まかな筋が紹介される。登場人物もくるくると入れ替わり立ち替わりして、少々落ち着かないが、そこを女形の早替りで、観客の目を釘付けにする。早い話が手品師の箱抜けの奇術を何度も見せられているようなもので、歌舞伎という芸能が、今で言うミュージカルやショーといったサービス満点のエンタテインメントであることがよく分かる。本来男である役者が女に変わるだけでも充分に倒錯的なのだが、それが七役も受け持つというのが時代の要請というものだろう。尋常なことでは満足しなくなっているのだ。

しかし、やはり芝居のおもしろさは役者の演技につきる。早替わりの技術には舌を巻くものの、もう少し落ち着いて芝居が見たくなる。そこで、「莨屋」の場面になり、「悪婆」土手のお六の登場となる。この場面では女形は早替わりを一時中断、お六役に専念し、相手役の亭主鬼門の喜兵衛相手に息のあった芝居を見せる。刻み煙草の商いや、洗い物や縫い物の仕事、鬢盥一つを手に提げて家を回る髪結い等、当時の風俗が活写され、庶民の生き生きとした暮らしぶりが窺えるのもうれしい。

歌舞伎は「かぶく」から来たので、字は当て字だというが、大詰めの「隅田川」の場面は、常磐津に乗せた舞踊と、中国雑伎団顔負けのトンボを切る「からみ」連中の技術を充分に堪能できる。他の芝居から美味しいところだけをイイトコ取りしてつなぎ合わせる「綯い交ぜ」の作劇法にも見られるが、これでもか、これでもかとひた押しに押してくる「見せ物」としての芸能である歌舞伎の本領を発揮した一大エンタテインメントといったところだろうか。

玉三郎は、その美しさには定評のあるところ。娘役は勿論だが、意外にも「悪婆」の土手のお六がニンに合っていたのに驚いた。伝法でいて、愛敬もある姉御肌の人物を生き生きと演じて、団十郎の凄味の中にとぼけた感じのある鬼門の喜兵衛との絡みは絶妙。番頭や丁稚久太のコメディーリリーフぶりも楽しいが、田舎物の嫁菜売り久作を演じた段四郎の篤実な演技が、奔放な展開を見せる芝居を扇の要のように一点で締めていたように思えた。

 2004/1/1 『雪暮夜入谷畦道』 京都南座

師走の京を彩る風物詩。生で見たいなと思いながらTVのスイッチをつけた。京都南座顔見世の中継である。お目当ては、片岡仁左衛門が直侍を演じる『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』。講談の天保六歌仙を下敷きに黙阿弥が書いた江戸歌舞伎らしい生世話物。同じ六歌仙では『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』所謂「河内山」の話が有名だが、それに対してこちらは「直侍」とよばれ、対になる。緋の衣裳も鮮やかな「河内山」の舞台が大店の店先や大名屋敷であるのに対し、傘と手拭いで顔を隠し雪の夜道を急ぐ直侍の立ち寄るのは、蕎麦屋と廓の寮、陰陽の対比はそのまま人生模様の明暗を映し出す工夫。

強請たかりの悪事がもとで、役人に追われる羽目に至った直次郎は、江戸を離れる前に一目、入谷にある寮で恋煩いに伏せる新吉原の花魁三千歳の顔を見ようと、雪の降りかかるのを幸い人目を避けて畦道をいそぐ。途中立ち寄った蕎麦屋で馴染みの按摩丈賀に文を持たせその後を追う。三千歳は別れを告げる直次郎に別れるくらいならいっそ殺してくれと詰め寄る。連れて逃げるには足手纏い、かといって殺すこともならず、進退窮まったところへ、捕り手が現れ、立ち回りの末、直次郎は花道を引っ込む、という芝居。落ち目になった悪人の幕切れを雪の入谷を背景に描いて風情のある一幕。

雪の降り積もる寂しい入谷の夕暮れ、二八蕎麦の看板は人の足を止める。江戸情緒満点の舞台設定で、客が楽しむのは、顔を見せてくれないと女郎が病むといわれるくらいの色男の直侍が、白塗りの化粧のまま、蕎麦を掻込むという芝居だ。落語でもそうだが、江戸っ子の蕎麦好きは有名で、特に汁気をあまりつけず、ささっと掻込むその所作に粋で鯔背な江戸っ子の姿を見たいのである。仁左衛門は、もともとは上方歌舞伎の出、二口、三口、上手に啜ったが、江戸っ子でないので、その出来については何とも評しかねる。ただ、釜の蓋を取ったときもそうだが、湯気の出ないのがさびしい。股火鉢をしたり、足を温めたりと、寒さを表す演技の続いた後だけに、もう一工夫あれば、雪の夜の風情が出せただろう。季節柄、芝居見物の帰りに名物の鰊蕎麦を食べて帰ろうと思っていた客も多いはず、果たして蕎麦屋の入りはどうだったか。

直侍の弟分、暗闇の丑松が、自分が助かりたいばっかりに、兄貴分を密告したものかどうか思案するあたりに黙阿弥らしいピカレスクロマンの味わいがよく出ている。蕎麦屋の亭主が、隣家の裏木戸の開いているのを見て「物騒だから知らせてやれよ」というのを聞き、迷っていた丑松は心を決める。我が身可愛さは、仲間意識より強いのだろう。この非情さは小悪党の寄り合い所帯の現実を描いていっそ小気味よい。これでこそ雪の冷たさもいや増すというもの。

仁左衛門はその顔、立ち姿、口跡のどれをとっても当代に並ぶ者のない立ち役役者である。頬被りの陰からのぞく苦み走った色男振りは、錦絵にしたいほど。また、雀右衛門の三千歳と絡むとこ ろも悪 人とはいえ、根っからの悪でない、優さ男らしさを伝え好演。本人は、足の細いことを気にかけ、 与三郎や直次郎のように足を見せる役を尻込みしていたこともあったと語っているが、雪でぬかるんだ夜道をたどる足どり、花道での見得、どれもみごとに決まっていた。もともと痩せ形であったが、病を得た後のこととて、頬や顎のあたりの肉が削げ、それが窶れと凄味を際立たせている。丑松の段四郎、丈賀の芦燕と、脇を固める役者陣にも支えられ顔見世らしい見せ場のある芝居となっている。
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