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 2003/9/30 『ジョー、満月の島へ行く

「自殺するのと、するのが怖いことをする、のどちらをとる?」と聞かれたら、あなたならどうする。答えは「するのが怖いこと」の方をとるというのだが。「ジョー満月の島へ行く」という映画の中でトム・ハンクス扮するジョー・バンクスがメグ・ライアン扮するヒロインの姉(三役!)に尋ねるシーンがある。映画がはじまってすぐに、また気がついた。これはハイデッガーだな、と。

我々の生は、死への恐怖に直面することを無意識に避けるため、日常的に頽落している。いつかは死ぬということが定められているのに、ふだんはそんなことなど知らないかのようなふりをして周囲の存在を気遣い、つまらない瑣事にかまけているのだ。もし、人が、死すべき運命に正対することができれば、生はもっと豊かに色鮮やかなものに変わるはず。そういう思想を映画化すれば、こんな映画になるだろう。

元消防士のジョーは、体の不調を気にし、医者にかかる。医師は「体は健康だが、脳に異常があり、後6ヶ月の命だ」と宣告する。ジョーは勤めを辞め、やりたいことをしようとするが先立つ物がない。ここからは『ファウスト』である。超伝導体を開発する会社社長が現れ、ジョーの命を買おうというのだ。なんでも、南海の島にしかない物質が超伝導体には不可欠だが、その島には100年ごとに生け贄を火山に投じないと火山爆発で島が沈むという言い伝えがあり、その最後の日が迫っている。ついては医師に話を聞いたが、君が飛びこんでくれたら、これをやろうと出すのがクレジット・カード。このメフィストには娘があり、彼女がヨットで島まで送ってくれる。娘を演じるのがメグ・ライアン。

会社を辞めるジョーが荷物を整理するが、その荷物の中身がウクレレとペーパーバックの『ロビンソン・クルーソー』、『ロミオとジュリエット』それに『オデッセイア』というのだから、話の展開は見えている。船が沈み、流れ着いた二人を迎える島の様子が『南太平洋』のパロディーだったり、大型トランクに乗って漂流するメグ・ライアンが人魚姫の像と相似してたり、島での二人が『珍道中』シリーズや『キング・コング』を髣髴させたりと映画的引用に満ち溢れた娯楽作品だが、「死と再生」に依拠したエンディングといい、主題は意外にドイツ的な「死」の思想に彩られている。1990年、スピルバーグ制作総指揮によるWB映画である。

 2003/9/15 『現代日本の詩歌』 吉本隆明 毎日新聞社

何だこれは、と一瞬うろたえた。これがあの『言語にとって美とは何か』を書いた吉本隆明の書いたものか。自分より若い詩人を論じるのに「さん」づけとは。これはてっきり悪ふざけかと思って読み始めると、とんでもない。真面目も真面目、大真面目なので、なおさらにおどろく。かつては自立の思想を標榜する思想家、近頃では評論家として知られる吉本隆明の文学的な出発点は詩であった。その吉本が戦後の詩歌を読解し、新聞に連載した文章をまとめたもの。最終的に吉本の手が入っているが、構成者による聞き書きをもとにした文章であることが違和感の原因だった。

文体の問題はさておき、その内容はと見ると、新聞連載であることも意識してか、歌謡曲の歌詞からはじまり、現代詩、短歌、そして近頃の俳句ブームも視野に入れて俳句まで、ほぼ戦後日本の詩歌は網羅されていると言えるだろう。文学者の「転向」問題を論じ、戦中戦後の知識人の欺瞞を徹底的に暴いて見せた吉本である。知識人の拠って立つ地盤の脆弱性を浮かび上がらせ、自前の根拠を持たないエクゾティズムとしての文学や詩を撃つという意図は理解できる。中島みゆきに瞽女(ごぜ)歌を発見したり、「王将」の歌詞を「すぐれた歌詞で、今の純粋詩を書いている詩人は、このような歌詞はなかなか作れないだろう」などと言ってみせるのは、「大衆」的視座を重要視する吉本らしいが、やはりその本領は氏の言うところの「純粋詩」にある。

たとえば、現代を代表する詩人として谷川俊太郎を選び、「倫理的でないこと」を意識的に主題に選んでいるのが、その詩の特徴だと言い切るのはいいとして、返す刀で「自らの出生に対して《望んでこの世に生まれたわけではない》という思いがどこかにあるのではないか」という指摘をしてしまうのは舌が滑ったのではないだろうか。谷川の詩を高く評価しながらも、きわめて倫理的な主題を選ばずにはいられなかった世代の詩人である吉本の、現代日本に生きる詩人に対する言わずもがなの違和の表明であろう。

田村隆一の詩を、象徴詩と比べ「象徴や比喩として心に入れたのではない。本当に空を飛ぶ鳥を心の中に入れてしまっているのだ」と評し、その理由を「外にある物象を全部、心の中に入れないと言葉にできない。これは詩人の全体像からすると、戦争というきわどい生死の体験からきていると思う」と読み解いてみせる。このように、詩をテキストとして読むだけでなく、コンテキストの中において読まなければ、当時は共通体験として共有できたある種の感情を見失うことを指摘する。

書かれた詩と詩人の現実世界とを重ね合わせて読むという、ある意味、古風な読解のように思えるが、戦後も半世紀を超えれば、このような副次的な作業を行わなければ、作者と当時の読者が捉えることのできた何かをとり逃してしまうこともあるのかもしれない。全体に戦争体験というものの風化を見据えた上で、当時の作品を当時の世相に置いて読むという作業を繰り返し行っていることが目立つのがこの本の特徴である。

採り上げられた詩人の特徴として、言語としての詩の可能性を極限まで突きつめようとしている詩人の多いのは当然だとも言えるが、声高に何かを訴える詩人よりも、自分と正対し、ひそかに思うところを述べることを作風とした詩人が多い。数少ない例外が谷川雁である。代表作「革命」を引いて、「最後の方言の言葉もとてもいい。だいたい、革新政党とか、自称左翼とかは、いいことばかり言っている。公平無私が革命家だとか言ったり、思ったりしている。」というあたり、吉本隆明らしさが出ていて思わずにやりとしてしまう。その谷川雁の詩の最終行。
ぎ な の こ る が ふ の よ か と
(残った奴が運のいい奴)
「谷川さんは自分自身のことを革命家だと思っていた。いつも何かを実際にやっていないと気がすまない人だった。何か現実に運動をやるうちに言葉が出てくる人だった。独特な詩人思想者で、政治というものをうんと広い意味にとって、自分で考えたことを実践した人だった。とても懐かしい人だ。」懐かしい人として呼ばれた「谷川さん」の「さん」づけは、とても自然に聞こえる。反核運動で埴谷雄高と論争をしたことも、こういう部分を読むと分かる。「現実に運動をやる」ことは、文士の反核運動などとは比べられない。吉本隆明の持つナイーブさが自然に発露した部分である。

 2003/9/14 『ジプシーの来た道』 市川捷護 白水社

アラン・ドロン主演のフランス映画に『ル・ジタン』というのがあった。いつもはきちっとしたスーツ姿の彼が、革ジャンを着て、髪を伸ばし、めずらしく髭を生やした姿が新鮮だった。都会的で孤独でクールな役柄を演じるのが得意な彼が、フランス社会に入れられない共同体の桎梏を背負って行動するところに彼らしくない人間くささのようなものが出ていて記憶に残っている。因みに、「ジタン」はフランス語で「ジプシー」を意味する。

スペインを訪れたのは、バルセロナ・オリンピックが終わった後だったが、スペインでは「ヒターノ」と呼ばれる「ジプシー」がオリンピックの頃は観光客をねらってヨーロッパ中から集まってきていたと聞いた。あまり歓迎されることのない彼らだが、スペインの観光資源のひとつともなっている「フラメンコ」は、アンダルシア地方に伝わる音楽と彼ら「ジプシー」と呼ばれる民族の音楽性が融合してできた奇蹟の賜のような音楽である。

「ジプシー」も「ジタン」、「ヒターノ」も語源は同じで、“Egyptian”(エジプトから来た人)の意味である。家を持たず、一箇所に定住することのない彼らがいつ頃からヨーロッパに現れたのかは確かではないが、黒髪や黒い瞳からヨーロッパ人はエジプト人を想像したのかもしれない。しかし、どうやらエジプトとは関係なく、今ではインド北西部が彼らの故郷であろうと考えられている。言い遅れたが、「ジプシー」という言葉は現在では差別的と考えられ、彼らの共通語とする「ロマ(ロマニ)語」からとった「ロマ」の人々と呼ぶことが多い。

そのインド北西部からアルメニアを通って、ヨーロッパ各地に入ってきたと考えられる「ジプシー」の跡を訪ねて、現地調査を試みた日本人がいた。その旅の記録をまとめたのがこの本である。もともとはレコード・ディレクターで、あの小沢昭一と組んで『日本の放浪芸』シリーズを完成させた人と聞くと、なにやら放っておけなくなってさっそく読んでみた。

日本の放浪芸、例えば「猿回し」のような門付け芸が、日本独自のものではなく、そのルーツが大陸にあるのではないかと考えた著者と小沢氏は、中国に渡り、その事実を突き止めようとするのだが、その射程の向こうにインドが見えたとき、放浪する被差別集団としての「ジプシー」の姿が日本の門付け芸と重なった。網野善彦による中世史を待つまでもなく放浪する遊芸者の集団はこの国でも差別を受けてきたのはよく知られている事実である。

著者たちはアルメニアで、「ジプシー」を表す「ボーシャ」の人々の痕跡を辿る。今では定住し籠つくりを営む人々は、ロマの言葉でなくアルメニア語をしゃべり、その出自を明らかにしたくなさそうだったが、現地の協力者の助けを得て、著者たちは彼らに伝わる歌の録音をすることを得る。インドにおいても事は同じで、人を得て、協力してくれる人々に出会う。ワールド・ミュージックと呼ばれる世界の民族音楽を録音する中で、様々な階層の人々と接してきた経験が生きているのだろう。

「ジプシー」と呼ばれる人々のルーツを探るという学術書ではなく、彼らの中に入り、寝食を共にする中で、貴重な民族音楽を記録し、定住民族にはない独特の行動様式や文化を紹介する音楽紀行である。インドに今も残るカースト制の下でアウト・カーストとされる彼らの、放浪する人々独特の物を持たない生活の仕方や、「清潔感」と「清浄感」を区別する「穢れ」意識など、教えられることも多い。ワールド・ミュージックや『日本の放浪芸』に興味を持つ人にはたまらない一冊である。

 2003/8/31 『ボストンに愛された印象派』展 名古屋ボストン美術館

丸谷才一と山崎正和の対談集『半日の客 一夜の友』に、印象派の登場以来、絵が小さくなったという話があった。たしかに会場に展示されている絵の大きさは全体に小ぶりの印象を受ける。ルーブル美術館に行くと分かるが、ナポレオンの戴冠を描いたダヴィッドの歴史画など壁一面をおおっている。実はこの時代、絵にもヒエラルキーが存在し、位階が高いほど絵は大きく描かれた。歴史画は風景画よりずっと上だったのだ。大きなキャンバスに農民を描いたクールベの絵がスキャンダルになる時代だった。それでも、クールベの絵は大きかった。

印象派になって、絵は何故小さくなったのだろう。それは、外で描いたからだ。アトリエならいざ知らず、部屋の壁ほどもあるキャンバスを固定することは難しかったろうし、だいいち持ち運びがたいへんだ。それに、モネの場合がそうだが、外で描く絵は習作という意識があった。本当の絵はアトリエに帰ってから仕上げるという考え方がまだまだ主流だったのだ。ところが、習作のはずの外で描いた絵の方がどう見てみてもアトリエで描いたものよりいいのである。

アトリエから出た画家を待ち受けていたのは自然の光の下で絵を描くというそれまでにない経験であった。刻々と移り変わる自然の風景を描くのにそれまでの技法は役に立たなかった。それまでの緻密な描写法は影を潜め、タッチは素早く大胆なものになった。野外でのスケッチは、物には固有な色などなく太陽光の影響で色が生じることを画家に教えた。光の移ろいを描くには光そのものの探究が欠かせない。モネに代表される印象派の誕生である。

印象派以降、絵が小さくなっていくにはこうした外的条件が重なっているのだが、小さくなったことで絵を所有する階層に変化が現れてきた。大作なら城館の大広間やギャラリーのような大きな部屋が必要だが、小さな絵ならブルジョアの屋敷のマントルピースの上にも掛けておける。市民階級の台頭と相俟って絵を所有する層が拡散し、蒐集家と呼ばれる人々が登場する。ボストン市民が印象派の絵を沢山収集することができた理由のひとつにはこんな背景があった。

ボストンの人々はもともと、ミレーやコローに代表されるバルビゾン派の絵を好んでいた。印象派の受容は、絵画の革新性というよりも、むしろバルビゾン派と共通する身近な自然を画題にした点にあった。絵とは、神話や伝説でなければ宗教的、歴史的な題材を描くものだという長い歴史と伝統を持つヨーロッパとはちがい、新興国アメリカにおいては都市の周囲に広がる身近な野外の風景を描くことはむしろ自然であった。

会場の一角に『大運河、ヴェネチア』と題されたルノアールとモネの二枚の絵が並べて展示されている。ボストンには珍しい都市を描いたものだが、印象派を代表する作品という位置づけなのだろう。モネは朝のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を描いている。画面は水平線と陰になった杭で四分割されている。上半分は右手から指す朝日を浴びて輝く薔薇色の教会ドームと、左に立ち並ぶ杭の縦線が強調されている。下半分を占める運河の水面は、短い筆致でゴンドラの影を点綴し波の動きを感じさせる左側と、横長の筆触で穏やかな水面を表す右側が対比されている。計算された構図が絵の完成度の高さを感じさせる。印象派の絵ならではの爽快感漂う一品である。

名古屋ボストン美術館は、すでに閉館が決まっている。運営上の問題は色々あるだろうが、企画展としてボストン所蔵の美術品が定期的に見られるだけでなく、常設展示されるエジプト・ギリシア・ローマの美術品も他の美術館にない魅力だったのだが、惜しいことである。

 2003/8/30 『死の骨董―青山二郎と小林秀雄』 永原孝道 以文社

白州正子が精神的な双子と評した小林秀雄と青山二郎は骨董と文章で互いに師弟関係にある友人であった。その二人が最後には袂を分かつことになる。二人にとって、骨董とは何だったのかを問うことでその理由を探る。こういうのを力業というのだろう。強引とも思えるアナロジー(類推)の方法を駆使して何かと何か、誰かと誰かを無理にでも重ね合わせてみることで、それまで見えなかったものが見えてくる。それにしても、今、何故小林秀雄であり、青山二郎なのだろうか。

骨董の世界は李朝に始まり李朝に終わるという。滅びた王朝に寄せる哀惜から柳宗悦が作り出したこの完璧な美の球体の中に青山は閉じこめられていた。限られた目利きとその信奉者による閉じられた世界、彼はそこからの脱出を試みる。半島に渡った彼は借りた金で師が愛した李朝陶磁を貨車一台分も買い集めるという行為を通して、李朝陶磁の脱神話化を成し遂げる。「直観だけが掴む美を持つ真なるものが厳存し、その持続的蓄積が伝統を形成する。小林が一時的にもせよ信じようとしたいかにも生産的なこの夢を、青山は信じない」。

加藤唐九郎をして「やろうと思えば何でもやれた天才なのにわざと何もしなかった男」と言わしめた青山二郎。何でもやれた天才である彼がわざとしなかったこととは何か。天才的な鑑賞眼を活かして、すぐれた手を持つ芸術家を創造し、まつりあげること。つまり骨董の「生産」である。青山にとって骨董とは「消費」するものであった。骨董という物を通して人と人とが出会い、別れることで「一期一会」の関係が発生する。骨董という「物」の交通が孕む「関係」にこそ意味があるのだ。生産(神話化)に対する消費(脱神話化)、停滞(所蔵、蓄積)に対する交通(売買、流動)。小林と青山の対立はモダン(プレ・モダン)とポスト・モダンの対立を予兆している。

戦時下、夭折した富永太郎や中原中也ら友人との「交通」をなくし、事実上の鎖国状態の中で彼の批評を支えていたヴァレリーやベルグソンを手放しながら、死ぬことのできない立場に置かれた小林は、自ら閉じた孤独の中で「異様に美しくとぎすまされていった言葉だけが残されている」存在と化してゆく。「歴史には死人だけしか現れてこない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ」と小林がいうとき、骨董は死者と重なる。骨董とは死者=過去を上手に思い出すための実践である。小林の骨董は死を結晶化させる道具なのだ。

小林にかかれば、バッハもゴッホも「死」の一点から読み込まれ、動じない美しい形を盛る器となる。セザンヌがモネを評して言った言葉「モネは目だ。それにしても何たる目であることか」が、小林にかかると「モネは素晴らしい眼だが、眼にすぎない」ということになる。小林にとっての芸術とは死を斫断し、常ならぬこの世の中に動じぬ美を映し出すものでなければならなかった。しかし、青山にとって芸術とは常に動くこの世にあって生きる人の目を喜ばせるものであった。小林秀雄と青山二郎が袂を分かたねばならなかった理由はそこにある。

筆者があえて使わなかったのであろう手垢のついた譬えを持ち出せば、小林はパラノであり、青山はスキゾである。互いに強い影響を与えあった二人だが、死者を介し、求道的な芸術家像を求める小林と、嬉々として焼き物や絵で遊ぶうちに生涯を終えた青山とでは、はじめから生きる上での平面がずれている。いや、互いの存在が必要以上にずれを大きくしていったのかもしれない。二人は「眼」を共有しながら頭や胸は別というシャム双生児のようなもので、それぞれが各々の生を生きようとするなら、切り離されなければならない運命であった。

「青山二郎の散文の多くは、彼の装幀と同じく見立てと取り合わせによって構成されている」と、永原は書くが、戦時下の小林を普仏戦争時のランボオをに見立て、『無常といふ事』と『地獄の季節』を取り合わせ、実朝にランボオを、死から生還したドストエフスキーに、夭折し損ねた小林を見立てた彼のこの評論こそ「見立てと取り合わせによって」構成された作品そのものにほかならない。今この時代に小林秀雄を召還した筆者の現代という時代に寄せる苛立ちのようなものに共感できるかどうかが、筆者の「見立てと取り合わせ」に対する評価が分かれるところだろう。

 2003/8/17 『モンテーニュ エセー抄』 宮下志朗編訳 みすず書房

とにかく読みやすい。くだけた訳で、こんなにすらすら読めていいのかしらと思うほどである。実は前から一度は読んでみたいと思っていたのだが、名にしおうミシェル・ド・モンテーニュ、ちょっと尻込みしていたところもある。何しろ、堀田善衛が『ミシェル 城館の人』で書いていたモンテーニュは、ナントの勅令で知られる後のアンリ4世を自分の城館に招いて投宿させるほどの大物でありながら、その公人としての役目もほどほどに、早々と城館の一室に隠遁し、せっせと運び入れた古典籍を読むことに余生の楽しみを見出した、いわば憧れの人でもあった。

「抄本」であることも、とっつきやすさの原因のひとつだろう。長短取り混ぜて12編、行間を比較的広くとったゆったりした版組み、訳者による改行や一行あけの工夫も「大人の本棚」と銘打ったこのシリーズならではである。それにしても、この本を通じて見知ったモンテーニュその人の肩肘張らぬ気さくな人となりはどうだ。何もかくすことなく胸襟を開いて、まるで十年来の知己のように自室に招き入れ、自分の思うこと考えることを語り尽くす。しかも難しいことは何ひとつ言わないで。

「エッセイ」の語源となったのが『エセー』である。読んだ本の欄外に、覚え書きのように自分の考えを書き入れているうちに、そちらが本編となった、いわば自分の考えを試す「試論」であると聞かされていたから、もっと堅苦しいものを想像していたが、食べることから排泄すること、性に関することまで、実におおらかに開けっぴろげに語るそのあけすけさ。歴史家リュシアン・フェーブルは、王から庶民に至るまで16世紀人はプライバシーなど持たない「吹きっさらしの人間」だと言ったといわれるが、この風通しのよさは半端でない。

『エセー』の愛読者であったパスカルでさえ「モンテーニュの欠陥は大きい。みだらなことば。(略)彼はその著書全体を通じて、だらしなくふんわりと死ぬことばかり考えている」と書いているそうだが、この自然な放恣さが、この本の魅力である。功成り名遂げた人物だから、当然といえば当然なのだが、徹底的に自分を材料にしつつ、あるがままの自分を肯定し、自分の身の丈にあった生き方を通すことが、けっきょく生老病死のいずれに対処するにしてもいちばん適ったことなのだという考え方に至るというのは並大抵の人間のできることではない。

せちがらい世の中である。俗事を嫌って書斎にこもり、本ばかり読んで暮らしていたとしても、書き手も読み手も時代から自由でいることはできない。時代や世相というものはその紙背を透して入り込んできて、読む者の息を苦しくさせる。ときには、開けっぴろげな時代精神に触れ、風通しのよい空気を胸一杯深呼吸してみるのも悪くない。モンテーニュの『エセー』は、どんな時代にあっても生きること、そして死ぬことについての対処法を教えてくれる妙薬のような書物である。モンテーニュの言葉をみごとなまでに平易な現代日本語に移し替えた宮下志朗の訳業に感謝したい。

 2003/8/15 『映画の構造分析』 内田 樹 晶文社

内田は、この本が、ラカンやバルトを使って、映画を批評するという凡庸な試みでないと最初に書いている。副題に「ハリウッド映画で学べる現代思想」とあるように、誰もが見たことのある有名な映画を使って、逆にバルトやラカンの術語を解説するのがこの本の眼目である。『寝ながら学べる構造主義』で、狂言や童話を材料にして現代思想をあざやかに解説して見せた手並みを今度はお得意の映画で見せようという趣向らしい。

私たちが何かについて考えるということは、その何かについての「お話」を作ることである。どんな「お話」つまり物語にも構造があるが、その構造の数は限られている。だから、無数にある物語は有限数の物語構造を反復しているに過ぎない。構造分析とは、バルトに言わせれば「私たちの精神の本質的な貧しさ」をあらわにする作業である、ということになる。しかし、限られた素材から美味しい料理が無数に生まれるように、意外に貧しい構造から、映画は豊かな多様性を生み出してきた。映画の持つ構造を解き明かすことで、どうしてそれが可能だったのかを探り、新たな愉悦を汲み出すのが、著者の目的である。

内田は、バルトの「作者の死」や「テクスト」という術語を採り上げながら、映画は監督の物でも俳優の物でもなくフィルム・メイカーたちが織りなすテクストであると規定する。すると、そこから、映されていながら、はっきりした意味を持たない映像の存在が浮かび上がってくる。その「鈍い意味」の中に開放性や生産性を見たバルトは、物語を中心化する力に対して「反―物語」化する力を「映画的なもの」と名づけた。内田の分析がこの視点からなされているのは言うまでもない。

意味が無理なくつながっているところには解釈の入り込む余地がない。つながり具合の不自然な「意味の亀裂」があってはじめて、物語は発動する。内田の解釈によると『エイリアン』は、白馬の王子様の救援を待たずに自立した女性が活躍するハリウッド開闢以来のフェミニズム映画ということになる。それが映画の中枢の物語であるとすると、当然「反―物語」の力は、ヒロインを性的コンテクストに再回収する方向にはたらく。その解釈を引き出すきっかけになるのは、唐突に映し出されるリプリーの鼻血に続くアッシュの額を流れる白い液体(精液を連想させる)の映像である。映画後半に頻出する性的アレゴリーに満ちた映像はそういう意味であったのかとあらためて気づかされるのだが、解釈を促すのはこうした「実定的な抵抗感」ばかりではない。

大事なことを意図的に言い落とす「欠性的な抵抗感」の例に採り上げているのは『大脱走』。内田は、これをアンチ・エディプス、父殺しをテーマとする映画だと読む。もちろんここで解説されるのは、フロイト=ラカン理論である。この映画は、フロイトの心的エネルギーと同じで、番人の監視の目を欺いて、代理的表象に変容して境界線を通り抜けようとする物語であると喝破する。脱出に成功した者と失敗した者を分ける理由をラカンの「父の否/父の名」を援用して解き明かすこの読みは秀逸。詳しくは是非本編を読んでほしい。

全編は三章に分かれ、表題と同じ題名を持つ第1章では、上記のほかに、アメリカ映画がはじめて、トラウマの本質に触れた歴史的映画として『ゴーストバスターズ』が、また、あらゆる学術的な物語論にとって「分析データの宝庫」であるというヒッチコックの映画から『北北西に進路をとれ』が選ばれ、分析されている。同じヒッチコックの『裏窓』と小津の『秋刀魚の味』を俎上にのせて「視点」について論じる第2章「四人目の会席者」と「第四の壁」や第3章「アメリカン・ミソジニー」など、どれも読み応えがある。中でも「男女比率不均衡」と「弔い」をキーワードにアメリカ男性のアメリカ女性に対する嫌悪の理由を分析した第3章は、アメリカン・フェミニズムについて、著者ならではの発想に溢れ、内田ファンを喜ばせるポレミックな論考といえよう。

 2003/8/10 『ダロウェイ夫人』 ヴァージニア・ウルフ 丹治 愛訳 集英社

六月の朝のロンドン。ビッグ・ベンの鐘の音が聞こえる。柔らかなヴェールのような灰白色の朝の空気の中に、クラリッサ・ダロウェイは飛びこんでゆく。今夜の夜会のための花を買いに。大戦は終わり、街は活気をとりもどしている。ウェストミンスターからセント・ジェイムズ公園へと歩を進めるクラリッサの目や耳に飛びこんでくる街の喧噪、馬車や自動車、ブラスバンド、辻音楽士の手回しオルガンの音――「このすべてのなかにわたしの愛するものがある、人生、ロンドン、六月のこの瞬間がある。」

夫のリチャードは下院議員、今夜の夜会には首相も顔を出す。五十歳を過ぎ、クラリッサの髪にも白いものが目立つようになったが、魅力は相変わらず。彼女の生きがいは、人と人とを結びつけ、楽しい時間を与える夜会を催すこと。古い友人のピーター・ウオルシュはクラリッサを評して完全無欠の女主人になる素質があるといったものだ。

そう、クラリッサは人生をロンドンを、人々を愛している。しかし、その一方で、彼女の心の中には死の想念がたえず浮かび上がってくる。「自分が外に、岸から遠く離れてひとりぼっちで沖にいるという、そんな感じにたえず襲われる。一日だって生きていくのは、ほんとうに、とても危険なことだ」「自分がいつかかならず跡形もなく消え失せ、その後もこのすべてがいままでどおりつづいていくとしても、どうでもいいことではないか?べつに腹立たしいことではない。」

自分の周りにあふれる生き生きとした人々の生活を愛しながら、その一方で、自分の存在がなくても、これらは存在するだろうという覚めた認識がいつもつきまとう。それらが活気に溢れ、愛おしく思えば思うほど、自分はそれらから切り離されているといった感じがせまってくる。かつて、ブアトンの家で一夏をともにしたサリー・シートンのことを思い出す。彼女が一つ屋根の下にいることを考えると「いま死ねば、この上なく幸福だろう」と感じたのだった。あまりにも愛しすぎるから、そのひとときの過ぎ去るのがこわい。ピーターの求愛を退けたのも同じことだ。あまりにも、自分にとって近しすぎるから、長く続くことで、その関係の毀れるのを怖れずにいられない。

誰かを愛し、ともに生きていくということは、長い間には、時には憎んだり、傷つけあったりすることを避けては通れない。信じるということの裏には疑いが、賞賛の背後には嫉妬が、コインの裏表のようにはりついているものだ。クラリッサは、美しいもの、よきものを愛するがゆえに自分のなかにもある、醜いもの、つまらないものをいつも抑圧して生きている。「それが私の自己(セルフ)なのだ。―とんがった、投げ矢のような、明確な自己。意識的な努力によって、自己になれという呼びかけによって、いくつかの部分が統合されたときに現れる自己。それがいかにほんとうの自分と異なるか、それと矛盾したものであるかは、わたしだけが知っている」。

このような努力を常に自己に強いていれば、無意識の裡にその努力から解放されることを要求する欲望が育っても不思議はない。狂気か死か、いずれにせよつくられた自己から解き放たれ、ほんとうの自分にもどれるきっかけを心の奥底で必死に追い求めながら、つくられた完璧な自己を生きるという矛盾した毎日を送るクラリッサの心を誰も知らない。良き夫であるリチャードも、いつまでたっても大人にならないピーターも、家族には優しいが典型的な俗物であるヒューも。いまや肥った資産家夫人となったサリー・シートンも。

人好きのする自分の像が、意識的な努力の成果であるなら、努力を止めれば、その像は汚され地に落ちてしまう。セプティマスの自殺を聞いたとき、クラリッサの心の中に起きる共感「一日一日の生活のなかで堕落や嘘やおしゃべりとなって失われてゆくもの。これをその青年はまもったのだ。死は挑戦だ」という思いは痛切だ。事実、モダン・ライブラリー版への自序のなかで、ウルフは、初稿ではクラリッサが死ぬはずであったと打ち明けている。セプティマスが代わりに死ぬことで、クラリッサは生き続けてゆく。「もはや恐れるな、灼熱の太陽を」というシェイクスピアの詩を口ずさみながら、夜会の席にもどってゆくのだった。

人は成長するにつれ「青春時代の勝利感をなくし、一日一日過ぎ去ってゆく生活のなかに自分を見失」ってゆく。大人になるためには捧げ物がいるのだ。しかし、窓の向こうの空を見て「あそこにわたしの一部がある」と感じることのできるものには、それでも「なお日がのぼり日が沈むときに、失ったものを見いだし衝撃的な歓喜をおぼえる」こともできる。それでよし、としようではないか。

 2003/8/5 『輝く日の宮』 丸谷才一 講談社

一読『薔薇の名前』を思い出した。ほかでもない、小説の主題が失われた一巻の書物の探索行であること。それに趣向がミステリ仕立てであること。主人公の探偵役が、世界的に有名な人物に擬せられていること。議論小説のおもむきを持つこと。小説の中に過去の歴史的事実や小説が透かし絵や紙背文書のように用いられ、作品がそれらのパロディ、となっていること等からである。

『薔薇の名前』では、アリストテレスの「喜劇論」の行方を求めて探索行を行うのが、バスカヴィルのウィリアム、つまりかの有名な名探偵シャーロック・ホームズに擬せられている訳だ。ワトソン役はアドソという見習い修道僧。それでは、『輝く日の宮』の場合はどうか。世界初の長編小説『源氏物語』の「桐壺」と「帚木」の間に置かれていた「輝く日の宮」の巻をめぐる謎、とくれば、相手にとって不足はない。しかし、名探偵となると、ホームズの相手が務められるほどの人物はなかなか思いつかない。ま、それは後のお楽しみとしよう。

書き出しから読者はむんずと襟首をひっつかまれる気がするだろう。「花は落花、春は微風の婀娜(あだ)めく午後(ひるから)」括弧内はルビである。のっけから鏡花張りの文章が何ページも続く。『高野聖』を下敷きにした鏡花の文体模写で綴られるのが、主人公の若書きの短編小説と分かったところから本編は始まる。今は大学助教授となった杉安佐子は学界の定説を気にせず、次々と新説を発表する。そのことが、周囲と軋轢を生み、物語を先に進める原動力となる。アカデミズムに巣くうセクハラや、企業の人事交代に纏わる内幕の暴露というゴシップネタを使うのは相変わらず。ご都合主義とも思える偶然の多用、年表まで用意して世相史を転綴する等、娯楽小説の大道を踏み外さない。

しかし、それだけではない。たとえば作中紹介される安佐子の論文。芭蕉の東北行が御霊信仰(お得意の)に基づく義経没後五百年の年忌を思い立ってのことであったとする「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」や、徳田秋声の小説内の時間処理における為永春水の影響を論じた「春水と秋声」(上手い題だ)など、どれ一つ採り上げてもそれだけで一編の題材となる文学評論が惜しげもなく開陳されている。だいたい丸谷という人は、この手の新説を考えるのが好きな人で、御霊信仰によって忠臣蔵を解説した『忠臣蔵とは何か』をはじめとする文学評論の書き手としての顔と小説家としての顔の二つを持つヤヌス神のような存在である。

だいたいがこの作品自体が『源氏物語』のパロディになっている。学者の父を敬愛するヒロインは、若い頃から文才を発揮し、今では19世紀文学の研究者として知られている。離婚歴を持ち、独身で文学研究に余念がない。その安佐子が、ローマに向かう機上で偶然邂逅するのが、後に一流企業社長になる長良豊。企業の社長程度を道長に喩えるのはちと苦しいが、安佐子が紫式部に擬せられている以上、詩に堪能で色好みを地でゆく長良が時の権勢をほしいままにした光源氏のモデルとも言われる藤原道長でなければならないだろう。「輝く日の宮」欠損の謎を追う安佐子がホームズ、長良がワトソンというわけだが、週刊誌の依頼で欠損した一巻を書く案佐子が次第に紫式部と重なっていく末尾は現代語訳された「輝く日の宮」の章で終わる。見事な構成というべきであろう。

この作者が常々、日本の近代文学に不満を漏らしていたことは今さら言うまでもない。曰く風俗を書くことが軽視されている。曰くむやみに深刻ぶって重苦しい。等々。しかも、ただただ不満を言うだけでなく、自ら積極的に打って出て実作をものし、そういう肩肘張った日本文学界に対して「たった一人の反乱」を繰り返してもきた。それは、一人の物書きの中に、批評家と実作者を兼ね備えた人格を同居させる訳で、書かれた物が一筋縄ではくくれないものとなるのもまた、やむを得ないものがある。もちろん、作者がかねがね言うように、小説といういれものは何でも飲み込める容器であり、その中に笑いと知性による社会批評、文明批評の含まれたものが、正統的な近代小説というものでもある。そういう意味で、この本は、イギリス小説を規範とした近代小説の正統につながるものであり、大勢の読者を獲得し、極めて日本的な題材を駆使して書かれながら、日本文学の中ではいつまでたっても正統に位置づけられることはあるまい。それは、作者の罪ではない。むしろこういう言い方を丸谷が好むとは思わないが、栄光ある孤立とでも言うべきものではないか。
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