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 2003/8/30 アリーナの傘

ニケに起こされて、眠い目をこすりながら居間の椅子に腰をおろしたところへ、同じように眠そうな目をしながら息子が「末続はどうなった」と、言いながら起きてきた。「なんで世界陸上はこんな夜遅くにやるのかねえ」「そりゃパリから見ればこちらは極東だから仕方ないよ」と言いながらチャンネルを変えると、まだ男子200メートルは始まってなかった。「おまえ陸上なんか好きだったか」「日本初のメダルがかかってるんだから気にもなるさ。」これも、プチナショナリズムの表れだろうか。TVが放映するから、「世界陸上」と騒ぐけれど、それまではそんなに気にもしてなかったはずだ。オリンピックや万博があるたびに、本当はもっと話題になってもいいことが、世間の話題に上ることなく消えていくとはよく言われること。まあ、話題に上っても三日とたたないうちに何かが起きて世間は新しいできごとの話で持ちきりになる。パンとサーカスとはよく言ったものだ。一応食うには事欠かないし、端末さえあれば、わざわざ足を運ばずとも世界はサーカスで溢れている。パリは雨が降っていた。アリーナで傘を差す末続の映像にちょっと親しみを覚えた。

 2003/8/28 本屋

この春に買ったばかりのコンピュータが動かなくなったので、下宿先に戻ったばかりの子がまた帰ってきた。こちらで買って持たせたので修理もこちらでしなくてはならない。やはり、ネットで買った方がよかったと後悔したが、仕方なく市の郊外にある店に持っていった。この頃では、車もそうだが、販売店では何ほどのことも分からない。部品が精密になりすぎ、分解するには設備の整った本社工場に送るしかないからだ。帰り道、新しくできた本屋があったので入ってみた。広い店舗に週刊誌やコミックが並んでいる郊外型の本屋だったが、意外に文芸誌に面白いものが並んでいた。新刊に偏らず、その著者の代表作を取り揃えていますとでもいいたそうな品揃えであった。外国文学の品揃えが悪いのは売れないからだろうか。新しい本の匂いには、図書館の本にはない魅力がある。通りすがりに寄っただけなので、そのうち、もう一度ゆっくり来てみようと思った。

 2003/8/27 引退

テニスのサンプラスが引退を表明した。同じ頃、陸上界では三段跳びの記録保持者であるエドワーズも引退を表明。二人のコメントを読んで感じたのは、ある日、突然に自分の気持ちが高まらないのに気づいていることだ。おそらくその瞬間まで、本人はやる気でグランドにきたにちがいない。ところが、ふだんなら高まってくる闘志のようなものがもはや燃え上がらない。選手の中にはマネージメントをつかさどる一人とプレイヤーとが共存している。頭が命じても手足がイメージどおりに動かない。その離反が中間にある胸の部分に競技の続行不能を告げるのだ。完璧なプレイヤーであればあるだけ、その齟齬が胸に迫るのだろう。その引き際のみごとさが胸を打つ。ひるがえって我が身を振り返れば、仕事の上での全盛期はとっくに過ぎている。ヴェテランと言えば聞こえがいいがロートルと言われてもしかたのないところだ。久米宏も番組の降板を表明した。当意即妙の受け答えがこの人の芸だった。自分の衰えは自分がいちばん分かるのだろう。何事においても肝心なのは引き際かもしれない。

 2003/8/25 車窓から 

列車は伊賀盆地をぬけようとしていた。杉木立の中をを通るたびに頁の上で日の光があわただしく点滅する。誘われるように目を上げると、車窓の向こうにはわずかに黄ばみはじめた稲穂をのぞかせて田圃が山の麓に向かって迫り上がっている。この地方に多い真壁つくりの民家の白い壁が日に映えて目にいたい。ところどころにこんもりとした社叢が小暗い蔭をつくっている。草むらを縫うようにのびる小川の水面には青い空と夏雲が浮かび、村は眠っているように見えた。体は小止みなく揺れる列車の椅子の上にありながら、さっきまで本の中に閉じこめられていた思念がいつか見たような風景の中に吸い込まれるように宙空に雲散霧消していた。重い言葉の意味を追うのにつかれていたのかもしれない。それにしても、なんという緑の濃さだろう。人が手を休めればあっという間に草や木に覆いつくされてしまうにちがいない。レヴィナスのいう『かたちなきものの形態化』が、このありふれた農村風景を可能にしているのだ、と、思いはまた本の中に帰ってゆくのだった。

 2003/8/24 事故

サッカー観戦からの帰り、車の窓から見える遠くの明かりに、「あれがスパーランドかなあ」「この時間ではやってないだろう」などと話していたのだが、ひょっとしたら事故の検分をしていたのかもしれないと今朝の新聞を読んで思った。知人が、この間遊んできた話を聞いたばかりだった。若い頃は、カイヨワのいう「めまい型」の遊びも面白かったような気がするが、今では絶叫マシンに限らず、コースター類は、どうも苦手で、どこに行っても敬遠している。とはいえ、今回のような事故を想定していたわけではない。事故があるたびに考えられない事故が起きたというコメントが発表されるが、考えられないから事故なのだ。それでも、日本中の遊園地で今日も絶叫マシンに乗る人は絶えないだろう。可能性としては飛行機は落ちるものだが、必要があれば乗る。自動車でも同じこと。自分だけは大丈夫という理不尽な思いこみがなければやっていけない世界なのだ。

 2003/8/23 サッカー観戦

はじめてスタジアムでサッカーの試合を見た。試合は午後7時から始まるというのに、午後3時には駐車場はほぼ満員、応援の人たちだろう、赤いユニフォーム姿の人がスタジアム周辺に集まってきていた。夕食をすませ、観覧席に着く頃にはすっかり日も落ち、選手入場時に上がる花火が夜空にあざやかだった。はじめのうちは、どう見たらいいのか、要領がつかめなかったが、しばらくすると、すっかり試合にのみこまれていた。ボールを運ぶスピード、ヘディングの高さ、どれも生で見る迫力はさすがにちがう。リーダーに率いられた応援もみごとにショーアップされていて、Jリーグという商品のコンセプトのしたたかさを見た気がする。歌劇『アイーダ』を使った応援の歌や、色とりどりのフラッグなど、おそらくそれまでの日本のサッカー界には存在しなかったはず。イタリアあたりから取り入れた「カンパリニスモ」を上手く接ぎ木したその手腕にあらためて舌を巻いた。プレー自体を楽しむならべつに必要はないが、サッカーという商品を丸ごと楽しもうと思うなら、応援できる郷土チームが是非ほしいところだ。

 2003/8/22 山

ずっと来ていなかったので、テラスの上は、落ちた枝やら杉葉で埋まっていた。堆積した木の葉は多量の雨水を溜めているのでかき落とした後もテラスは濡れている。いつものようにデッキチェアを出すわけにもいかず、しばらくは乾くのを待った。ロフトに登る梯子をかけ、屋根裏に風を通し、下の窓も全部開け放して風を入れた。黴くさい匂いはなかなかぬけない。しかたがない。ここに来るのは、ほぼ一年ぶりだ。雨と冷夏のせいで、今年もやっと今頃来ることができた。テラスの乾く間、谷川の石に腰かけておにぎりを食べた。整地していた頃を思い出す。よくここで食べたものだ。川風は冷たく、汗がひいてゆく。やっと乾いたテラスにデッキチェアを出し、持ってきた本を読んだ。アボリジニの歌の道について書かれた『ソングライン』だ。日は高いので、蝉の鳴き声が喧しい。読み疲れて、本を置いた。少しうとうとしたらしい。近くの梢に蝉が移動したのか、ひとしきり大きな鳴き声で目を覚ました。日が山の端にかかっていた。

 2003/8/19 焼き鳥屋で

行きつけの焼き鳥屋はつみれがうまい。妻は、前々から「子ども達が帰ってきたら、みんなで食べに行こう」と楽しみにしていた。そんなわけで、帰省中の息子二人を誘って久しぶりに家族そろっての外食となった。気をつかうタイプで、座が白けるのをきらう長男は、ひとりでしゃべって盛り上げようとしている。二男の方はいつものように仏頂面をしている。まだまだ家族というのが恥ずかしい年頃なのだ。親の方にしても、いつもは二人で来ている店だが、子ども連れというのは勝手がちがう。何をしゃべっていいのやら話題の選択にとまどって、次々とはこばれてくる料理を食べ、ビールを飲んでしているうちに腹が一杯になってしまった。子どもが成人したら、いっしょに飲むのを楽しみにしている親がいるものだが、なかなか最初から映画の一シーンのようにはいかないものだ。下の子がもう少し大きくなって、酒が飲めるようになったら、再挑戦してみよう。

 2003/8/16 髭

鏡を見ながら電気剃刀で髭をあたっていると、いつも思い出す文章がある。絶対にすべり込みをしない代走選手の逸話を書いた短いものだったが、そのなかに「プロ野球選手は、髭に白いものがまじりはじめると、一日に二度髭を剃る」というのがあった。記者に気づかれないようにするためなのだが、不思議に心に残ったものらしい。毎日いやというほど、いろいろな文章を読むが、そのほとんどは忘れてしまう。初めてだと思いこんで、同じ本を二度読んでしまってから、前に読んだことのある本だと気づくこともあるくらいだ。その愚を重ねないために最近は記録をつけることにしているが、書評まで書いた本でも、内容の細部まで覚えているわけではない。それなのに、つまらないディテールまで覚えているのは、なぜだろう。ひとつ思い当たるのは、それまでは忘れているのに、髭を剃りはじめると思い出すということだ。繰り返される身体の動きがひきがねになっているのかもしれない。

 2003/8/15 停電の夜に 

ニューヨークやカナダが昨日から記録的な大停電だそうだ。原因はまだはっきりしないもののテロではなさそうとのことである。そう聞くと、なんだか街中にあふれかえったニューヨーカーたちの表情の明るさも理解できる。すっかり明かりの消えた街路に椅子を出して、ビールを飲んでいる人々の顔は、めったにない非日常のできごとを愉しんでいるようにさえ見えた。冷蔵庫で腐らすのももったいないからとフォアグラを持ち出してきた人もいたりしてすっかりお祭り気分である。かつてのニューヨーク大停電から10ヶ月たった後、ニューヨークの人口は一気に跳ね上がったというが、今回はどうだろうか。ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』のような傑作がまた書かれることを楽しみにしたいものだ。

 2003/8/14 冷夏

朝からの雨で、隣家のガラス戸も閉まったままらしい。せっかくの盆休みもまた、あの騒音で早くから起こされるのかと、いささかげんなりしていたのだが、どうやら恵みの雨になったようだ。くぐもった音は聞こえてくるが、雨の音に遮られて、それほど気にならない。気温も低く、夜もぐっすり眠れたので頭がすっきりしている。それにしても、このすずしさは異常である。逆にヨーロッパでは熱波が襲い、パリでは死者が出ているという。日本とちがって湿度の低い欧州では、冷房装置をあまり重視しない。三つ星以上の高級ホテルでもエアコンのないところはざらにある。暑ければ、窓を開けてくださいということらしい。人の集まるカフェなども、通りに向かって開かれているから、冷房はない。もともと金のある連中は長期のヴァカンスに出ていて夏のパリにいるのは旅行者と、それを相手にする人たちばかりだ。市中の噴水は涼をとる人でプール状態になっているという。今年の夏は日本で過ごすのが正解だったかもしれない。

 2003/8/11 汗

空調のきかない部屋で、台帳を片手に、型番をチェックしていると、汗がぽたぽたと帳面の上に落ちる。半期に一度の、ではないが、盆休みで人手の揃わないこの時期は、ふだんの作業は休み。そんな時に決まってなぜか台帳の整理が回ってくる。同僚が読み上げる番号をチェックするのが役目だが、書類が整ってさえいれば、現有数量が本当のところどうであれ正直誰も気にしない、かたどおりの作業である。仕事がないのに、有給休暇も限られているから、全部夏にとりきってしまうわけにもいかず、給料泥棒のような仕事をしているわけだ。ひとりでもできる仕事になぜ二人がかりかというと、お互い小さい文字が見づらい年齢になってきている。いちいち眼鏡をかけ替えるのも面倒、二人で組めば、作業能率も上がろうという苦肉の策。しかし、コンピュータの入っている部屋以外は空調設備のない職場では、真夏の作業はサウナ状態である。冷房で止められていた汗が一気に噴出するのはいっそ小気味がいいくらいのものだ。仕事を終えた後の冷えた麦茶の一杯のうまいこと。

 2003/8/10 鯖雲

暦の上ではもう秋。立秋が過ぎたと思ったら、台風の去ったあくる日の空には見事な鯖雲が出ている。新暦よりも旧暦の方が正直なようだ。このまま夏が逝ってしまうとは思わないが、蜩の声も、なんだかすっかり秋の気配を漂わせている。今日読んだ本の中に、主人公が空を見ながら、「ばかばかしい考えではあるけれど、あそこにはわたしの一部がある」と思うところがあった。けっしてばかばかしくはない。たしかに、空には自分の一部がある。かつて、見た空を今も覚えている。島の夕焼け。信州の鰯雲。ローマの雲ひとつない紺碧の空。若い頃の方が、空にいろいろな思いを預けていたような気がする。鱗雲が空に出ると、無為に過ごした夏を悔いたものだった。今は、時の流れ去る速さばかりを感じる。空を自分の一部と感じることも少なくなっているのかもしれない。あの美しい空は、きっともっと若い人たちのためにあるのだろう。

 2003/8/9 台風

梅雨が明けたばかりだと思っていたら、もう台風。なんだか、せわしなくていけない。季節感がだんだん失われていくのは、異常気象のせいなのだろうか。夕方になって、すっかり回復したので、外に出てみた。思ったより被害は少なくて、そこここに落ち葉や折れた枝が散らばっているくらいであった。屋根やら樋やら、ここ数年のうちに何だかだと修理を繰り返してきた。ケーブルTVに変えたのも、台風でアンテナが飛ばされてからのこと。アンテナのないケーブルTVなら、台風でも安全というふれこみだった。ところが、である。今回は雷も鳴る変な台風で、地上波以外の放送は映ったり映らなかったりの体たらく。結局、台風情報は地上波のお世話になった。やれやれ、である。台風の去った後、通りを歩いていると、猫が目に着いた。なんだか、ほっとしたような顔をしている。きっと、どこかに避難していたのが、やっと出てきたのだろう。落ち葉の掃除をする人のそばで毛繕いをはじめた。西の空で雲が割れ、日が差してきた。明日はいい天気だ。

 2003/8/6 外来語

国立国語研究所が外来語52語の言い換え案を発表した。それによると、ノーマライゼーションは「等生化」、ユビキタスは「時空自在」と言い換えねばならないことになる。しかし、ノーマルが普通の意味であることはほとんど常識化している。それを聞き慣れない新造語に置き換えることに何ほどの意味があるのだろうか。また、「ユビキタス」ならネットで検索すれば、誰でも分かるが「時空自在」で正しい意味が検索可能だろうか。屋上に屋を架すというのはこういうことを言う。それに、一つ言わせてもらえば、カタカナはまちがいなく日本語(国語)だが、「時空」や「自在」は「漢語」つまり、中国語である。国立国語研究所ともあろうところが、日本語の表記を、わざわざ外国語に置き換えるよう勧めるのはいかがなものか。愛国者風を吹かす気は毛頭ないが、外国製の便利な言葉を日本語の中にうまくとけ込ませるのにカタカナがどれほどの働きをしてきたか、一度考えてもらいたい。戦時中、野球のストライクは「良し」、ボールは「だめ」とされた。これは、英語を和語に置き換えているのだから分かる。今回示された案のほとんどは漢語への置き換えである。国立国語研究所は、ほんとうに「国」語を大事にしようと考えているのだろうか。

 2003/8/5 夏雲

夜半、雷が光った。さいわい遠くらしく、音はあまり聞こえてこなかった。日暮れ時に散歩したときも陸橋の上から見る空には入道雲が湧いていた。ようやく夏らしくなった。尾根づたいに道をさらに上がると、小さい頃住んでいたあたりに出る。今、母が住んでいる家が建つまでの間借家住まいをしていたのだ。崖に張り出した変則的なつくりの家は、台風になると危険だった。近くの知人の家は、その頃には珍しいコンクリート製だったので、台風が来るとそこに避難した。今日歩いてみると、そこもすっかり更地になっていた。家と家の間から山が見えている。かつては参拝客でにぎわった通りだが、このまま放っておくと、もとの山にもどってしまいそうなさびれ方である。わずかに一軒、昔の姿をとどめる旅館の提灯に灯がともり、着いたばかりの客のさざめきが伝わってきた。

 2003/8/4 議論

久しぶりに仕事。出張の報告書などをまとめるのは、きらいではない。事務的にたんたんとこなす仕事が性に合っているのだ。ところが、会議はだめだ。黙っていればいいいのに、つい意見を言ってしまって後悔するはめになる。自分に関係のないことなら沈黙を通すことができても、自分にも関わりがあることになると、そうもできない。言っても、返ってくるのは、反感である。人は、自分の知らないことを教えられると、教えた相手を憎む習性があるという。自分の意見を説明すれば、相手に理解させることはできる。しかし、言葉をつくせばつくすほど、相手の中に、自分はこんなことも知らなかったのかという気持ちと、それを人前で指摘されているという気持ちがつのってゆく。話しているうちに、それが分かる。最後に言い分の正しさを認められてもちっともうれしくない。『ルパン三世』の中で五右衛門が呟くせりふ、「また、つまらぬものを切ってしまった。」を実感した一日。

 2003/8/3 『喜びも悲しみも幾歳月』

近くのホールで映画会があると聞き、最後の上映時間に間に合うようにかけつけた。木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(昭和32年)は地元の燈台でロケをしていることもあり、一度は見ておきたかった映画である。子どもの頃、映画こそ見なかったが、「お〜いら岬の灯台守は」という有名な主題歌はよく口ずさんだものだ。今見て思うのは、映画に戦争が色濃く影を落としていることである。見習いの青年が、徴兵逃れのために灯台守になったのだろうと言われ、けんかになる部分とか、高峰秀子が「こんな戦争早くやめてしまえばいいのよ」と言う部分もそうだが、最も重いのは、佐田啓二が不良仲間に刺されて死んだ我が子の遺骨を前にして言う「今まで、大きなこと、国のこととか政治のこととかは考えずに、燈台の灯を守ることだけ考えてきたのが、この結果を生んだのだ」という言葉だ。一所懸命、まじめにやってさえいれば報われるはずという素朴な信条を抱いてきた主人公が、はじめて見せる葛藤であった。戦後民主主義や戦後教育をあげつらう言辞が勢いよく飛び交っているが、それらが、戦前、戦中の「反」であったことを忘れてはなるまい。戦前、戦中なくして、戦後はなかったのだということを。

 2003/8/2 中学の校庭

やっと梅雨が明けた。よく晴れた昼下がり、いつもの通りを歩いてもほかに散歩する人もいない。神社の向かいにある「黒門」をくぐり、私立大学のキャンパスの中を歩いてみた。中学二年生までは、ここに通っていた。今は別のところに校舎があるが、その頃はこの場所に中学校があったのだ。火事で焼けた珍しい六角形の講堂の跡には新しい講堂が建っている。誰もいないグラウンドのスタンドに腰を下ろすと、ずっと思い出しもしなかった顔が次から次へと現れては消えた。
  中学の校庭
われの中学にありたる日は
艶めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寝ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日直射して熱く帽子に照りぬ。(萩原朔太郎『純情小曲集』)

 2003/8/1 高校野球

朝、ニケが出たがるので新聞をとりに外に出ると、近所のご婦人が通りかかった。「まあ、きれい、お風呂に入れてもらったばかり?劇的な勝利でしたね。でもちょっとあっけなかったけど」。地元の高校が、何年ぶりかで甲子園に行けるというので、そのことらしい。実は、高校野球どころか、プロ野球にも全く関心がない。サッカーは、高校時代にやってたのでさすがにワールドカップくらいになると気になるが、Jリーグは見ない。スポーツは見るよりするものだと思っている。死んだ父はスポーツなんかまったく関心はなかったくせに高校野球だけは見ていた。高校野球については、当事者は別として、あれはスポーツとは別のものかも知れない。大相撲や紅白歌合戦と同じで、どちらが勝ったかで吉凶を占う神事に類する年中行事の一種に近い気がする。世界が驚く速さで近代化を成し遂げた日本だが、国民の方は意識下に前近代の尻尾をくっつけているのではないだろうか。さすがに、大まじめに八百万の神に祈ったりすることははばかられるので、贔屓チームの活躍に自分の運不運を重ねているのかも知れない。それで、あんなに夢中になれるのだ。
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