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 2003/7/30 子ども

この前帰ってきたときには、あれほどなついていた二男を威嚇したニケだったが、今回は、表面上は無関心を装っている。一週間前兄の方が帰郷したときにも同じ態度であった。兄が連れてきた友人に対しては激しく威嚇したのだから、ニケの中で、家族と他人とはどこかで明確な線引きがなされているようである。それでもやはり、顔の前に手を出すと、声を出して引っ掻こうとする。警戒を解いてはいないようだ。兄のように手を出さないでいれば、引っ掻かれもしないものを、弟の方は何度でも手を出しては、噛まれたり、爪を立てられたりしている。「手を出すのをやめたらどうだ。」と、言ってみるのだが、せっかく帰ってきたのだから触りたい、と言っては性懲りもなく手を出している。猫は子どもが苦手だと、本で読んだことがある。しつこくかまいに来て、放っておいてくれないからだ。無視していたら、そのうち向こうから近寄ってくるだろうに、それが待てないところが、まだ子どもだな、と父親はひそかに思うのだった。

 2003/7/29 夏休み 

涼しい夏である。仕事に一区切りがついたので、たまっていた有給休暇を取った。少し涼し過ぎてその気になれないが、ま、夏休みである。休暇を買い上げてくれる企業もあると聞くが、仕事に追われる優良企業ならともかく、そんなにがんばって働いてもらわなくてもよい、残業なぞとんでもない、定時退社励行というのがモットーの職場では、仕事のないときに休暇をとってもらいたいというのが、使う側の本音だろう。そんなわけで、家にいる日が続くと、ふだん放っておかれているだけに、ニケは急に甘えっ子になる。本を読んでいても、お茶を飲んでいても、こちらがゆったりしているときをねらってやってきては、甘え鳴きをする。知らん顔をしていると、足先にしきりに顔を擦りつける。それでも無視していると、ついには、踵のあたりを噛む。痛くはないが、何度も噛まれると、座ってもいられない。立ち上がると、先に立ってベッドにつれてゆく。仕方がないから寝ころぶと、左手を枕に、背中を胸にくっつけてのどを鳴らす。涼しい夏である。ニケのぬくもりが薄手のシャツを通して直に伝わってくる。ついうとうとしてしまう。申し訳ないが、いい気持ちである。

 2003/7/28 隣町の図書館

前から聞いていた隣町の図書館に行ってみた。隣町とはいっても、こちらは「市」、相手は「町」だ。規模がちがう。それなのに、行ってきた誰もが褒めちぎる。少し入り組んだところにあるので、今まで訪ねようとはしてみなかったのだが、ウルフの未読の物でもないか、検索をかけてみようと思い立ったのだ。夏時間ということで、七、八月は午後八時まで開いているというのも親切だ。駐車場が少し狭いかと思ったが、みな、自分のように隣町から来るわけではない。町内からなら自転車でも来られるわけだ。内部は広い。新しく購入した図書の展示にもゆったりしたスペースをとっていて目にとまりやすい。特徴的なのは開架書棚の高さが、壁際をのぞいて大人の目の高さまでに抑えられているので、視線が館内にくまなくとどき、広々とした感じを受けることだ。お目当ての外国文学も、英米文学に限れば、我が市立図書館をしのぐ。早速カードを作って、五冊借りてきた。ウルフの『フラッシュ』を借りたことはいうまでもない。

 2003/7/27 更地

散歩していて気づいたのだが、近所の家が、いつの間にか更地になっていた。たしかに一週間ほど前までは、そこに家が建っていたのに、家並みにぽっかりとその部分だけ穴があいている。瓦礫はすっかり取り除かれ、きれいに砂利が敷き詰められている。新しい家が建てられるのか、それとも駐車場にでもするのだろうか。一軒の家が、もう何年も人が住んでいないのは知っていた。もともと、市営住宅だと聞かされていた。木造平屋のスレート瓦葺きというのは今ではめずらしい粗末な建物の部類にはいる。引っ越した後に人が入らなかったのだろう。もう一軒は、比較的新しい家だった。昔はそこに防火用水があり、野蒜の茎の先に輪をつくり蛙の足を引っかける蛙釣りをしてよく遊んだものだ。子どもの声に溢れていたこの界隈も老人の所帯がふえた。歩けるうちはいいが、人に頼ることにでもなれば、駐車場のない一軒家に住み続けることはできないだろう。かくして、古い家並みは壊され、馴染みのない風景が広がってゆく。記憶を喚起することのない風景の中に住んでいては、痴呆症も進むにちがいない。年寄りの暮らしにくい世の中になったものだ。

 2003/7/26 蝉時雨

いきなり夏が来たようだ。通りに落ちる家の影がやけにくっきりして、光と陰のコントラストが目にいたい。梅雨の間はできなかった散歩を再開することにした。尾根筋を左に折れると、やがて道は急な下り坂になり、右手に視界が開ける。左手は神社の森につながる木立が続き、道はすっかり木の影で覆われている。真夏を思わせる日射しにもかかわらず風はひんやりと冷たい。坂を下りきったところに神社がある。倭姫命を祀ったものだが、いつ訪れても参拝者はほとんどいない。鳥居をくぐると鬱蒼とした森を切り開いてつくられた参道が緩やかな弧を描いて奥に延びている。木漏れ日が砂利道を斑に染め分け、木々の間を烏揚羽や青筋揚羽がゆらゆらと飛び交っている。人っ子ひとりいない夏の昼下がり、たゆたうように飛ぶ蝶を見ていると魂が自分から離れて蝶の後について飛んでいきそうな妙な気分になる。だらだら坂の行き止まりに矩形の広場があり、高い石段が聳えている。石段を登ったところが社殿だが、ただの散歩だ。そのまま右に折れて博物館や美術館のある公園に抜ける。陽の当たる場所に出たら、急に蝉時雨が降ってきた。

 2003/7/25 武闘派

見たことのある顔がニュースに映っていた。イラク法案の委員会採決の瞬間らしい。いつものように喧噪と怒号渦巻く乱痴気騒ぎの中に、その男は奇妙に似つかわしかった。審議の打ち切りを告げる委員長席に詰め寄る野党議員から、委員長を守るためにボディーガードの役を務めているらしい。彼に限らず、プロレスラーが政界に打って出る理由がよく分からなかったのだが、なるほど、こういう役もあったのかとはじめて合点がいった。戦争が終わったはずの国で、占領軍が元指導者の家族を殲滅し、それが容認されるという世の中では、言論の府で格闘家が活躍するのも不思議ではない。かつて読んだアーウィン・ショーの短編で、エジプトから帰ってきた外交官がつぶやくせりふに「封建主義にはおそすぎるし、民主主義にははやすぎる」という言葉があったのを思い出した。この国の民主主義はしっかり根づくこともなく、またぞろ王政が復古するのだろうか。戦前というよりも維新前夜を思い出す今日この頃である。そういえば、髷を切った議員もいた。

 2003/7/23 海辺のテラス 

小さな入り江に沿って、よく刈り込まれた芝生が広がり、小高い丘陵を背景にした窪地には、アメリカから直輸入したトレーラーハウスが、適当な間隔をあけて並んでいた。ハウスの前にはウッドデッキが設えてあり、木製の机とベンチがあった。革製のデイパックの中から、持参したペイパーバックを取り出すと、ベンチに腰掛けて読み始めた。上の方には車の走る道があるはずだが、木の茂みが音を吸い込んでしまうのか、鳥の鳴き声のほかには何の音もしない。短編集の一作目は、「貝を集める人」。ケニアのラム群島にある海洋公園で貝を拾い集める盲目の老貝類学者に起きた出来事を読むにはうってつけのロケーションかも知れない。潮の退きはじめた入り江には陸地が姿を見せ始めていた。本の中の珊瑚礁とはちがい、割れた貝の欠片が、黒っぽい泥土の上に散らばっている。数人の男の子が潮の退いた水たまりに入って、生き物を探し始めたようだ。呼び交わす声がここまで聞こえてくる。本の上に目を落とすと、その声は遠のいていった。海辺の風に晒された机のざらついた木理が、むきだしの肱に心地よい。風が頁を繰っている。夏が来た。

 2003/7/19 京都感傷旅行

折角用意をした傘はいらなかった。一年ぶりの慰安旅行。今年は夏の京都の風物詩、貴船の川床料理を味わう会となった。川の上に張り出した床の上で食べる食事は涼味満点だが、雨に逢うと辛い。せめて昼食を食べる間だけでもと思っていたが、どうやらもった。昼食を終えた後は自由時間。地下鉄で四条まで出て、ジュンク堂書店に立ち寄った。京都書院がなくなってからは、京都に来るとここによる。ちょっと眺めるだけのつもりで寄るのだが、棚に並ぶ書物の背表紙を眺め、時には引き出し、ぱらぱらとめくっていると、時間はあっという間に過ぎていく。懐かしい本が、今でもちゃんと並んでいるのを見ると、古い友だちにでも出会ったようで、なんだかうれしくなってくる。かつては、それほど親しくなかった本も、近頃興味を持ち始めたことで、新しく目の中に飛び込んでくる。それやこれやで、予定していた博物館行きも取りやめ、昔よく歩いた通りを歩いただけで帰ってきてしまった。薄日の差した河原町界隈は人でにぎわい、いつもと変わらぬ活気を見せていた。あれからずいぶん経っているのに、この街を歩いているとあの頃に返ったようで、このまま下宿まで歩いて帰れそうな気がしはじめていた。

 2003/7/17 猫語翻訳機

玩具メーカーのタカラが、犬の鳴き声を人間の言葉に翻訳する機械を売り出したところ、予想以上の人気で、はじめは日本語だけだったものが、各国語のバージョンもでき、海外でも売れていることは知っていた。次は猫語だろうと言われていたが、ついにその翻訳機が発売されたそうだ。犬語のそれがバイリンガルをもじったバウリンガルだったので、今度はミャウリンガルというらしいが、犬と比べると、猫語の翻訳は難しいといわれていた。第一、猫の中には滅多に鳴かない種類も多い。かくいう家のニケもあまり鳴かない。けれど、言いたいことは鳴かなくても分かる。ノンバーバルコミュニケーションというやつだ。猫の仕草は、犬のそれと比べると格段に手が込んでいる。ニケなぞ、同じことを言うのにも、感情の度合いによって、ドアを叩いたり引っ掻いたり、或いは此方の手をなめたりそっと噛んだり、と様々な手練手管で攻め落としにかかる。今さら翻訳機も不要だが、もしこちらの言うことを猫語に翻訳してくれる機械があれば、車の買い換えをがまんしてでも買うだろう。「もう少し寝かせて」とか、「その椅子だけは爪を立てないで」とか、言いたいことはいろいろあるが、いちばん言いたいのは「おまえのことが大好きだよ」という言葉である。

 2003/7/14 謎の海洋生物(続)

さんざっぱら謎解きの興味をかき立てておいて、その正体はやはり鯨の脂肪だった。サンチャゴの科学者が明らかにしたところによれば、その内実は以下の通りである。死んだ鯨の体が腐敗すると、表皮が溶け、骨と内臓物が露出される。骨はそれ自体の重さで海底に沈んでゆくが、骨に囲まれ、表皮で覆われていたゼリー状の脂肪は、骨の間からするりと抜け出し、水面を漂うことになる。それが、ちょうど蛸が足を広げたような形になることもすでに知られていたことらしい。知っていたなら、もっと早く結論を出せばいいものを、大騒ぎになってから、DNA鑑定の必要などない、鯨の脂肪で決まりだと言い出すのだから人が悪い。まあ、地球上には、そんなに不思議な物は転がっていないということが分かったわけだが、海洋ロマンの夢をかき立てられた方としては、ちょっと残念。「日の下に新しきものなし」(ソロモン)ということか。

 2003/7/10 旅の重さ

『旅の重さ』という映画を若い頃に見た。その頃から、遍路に関心を持つようになったのだが、アメリカのTVにでもありそうな話に実際に出会った。少し前、TVで俳句を作りながら遍路を続ける老人のドキュメンタリーを見た。その老人の振る舞いが、あまりに俗臭紛々としていて、見ていて鼻白む思いがしたのだったが、今日の新聞を見て驚いた。どうやら、以前に、人を刺し、殺人未遂で指名手配中の犯人だったらしい。千葉県警の警察官が、TVで見て指名手配中の男ではないかと気づいたというが、本名で出演していたらしい。番組では、ずっと、その男を追い続け、写真集まで出版した奇特な人も紹介されていた。野宿を続ける男に、食べ物を施し、そのお返しに彼の作った自作の句集をもらって喜ぶ人たちもいた。犯した罪の償いに始めた遍路でもあったのだろうが、いつの間にか初心を忘れ、有名人気取りになっていた男の姿がいっそ哀れである。日常性に埋没している者にとっては、非日常を生きる存在は、まぶしく見えるのかも知れない。日常を生きることに倦んではいけないのではないだろうか。他山の石としたい。

 2003/7/8 謎の海洋生物

少し前にチリの海岸に流れ着いた不思議な物体がネット上で話題になっている。写真で見たところ、象ほどもある大きさのゼリー状の物体が海岸に打ち上げられていた。目下のところ、鯨か大蛸の脂肪ではないかというのが科学者の見解らしいが、たしかなことはいまだに判明していない。宇宙にまで行こうかという時代になっても、海の生物についてまだまだ未知であるという点がなんだかみょうにうれしくなってくる。ジュール・ベルヌの『海底二万哩』に出てくる大蛸は作家の空想だとばかり思っていたが、こんな大きな脂肪が蛸のものだとするならノーティラス号を苦しめるくらいの蛸は、実在すると考えてもいいのだろう。アマゾンの熱帯林が毎年減少しているらしい。陸地には、もはや『失われた世界』が実在するとは考えられない。宇宙開発のせいで忘れられてしまった深海探索が、これをきっかけにまた試みられるようになればいいのになどと、子どもの頃にもどってはしゃいでしまった。何も知らないというのは心躍ることである。

 2003/7/7 護摩

向かいの家の玄関に笹飾りがあった。今宵は七夕。この地方では、毎年七月七日は「護摩さん」と呼ばれる行事がある。近くの寺で護摩木が焼かれ山伏が法螺貝を吹く。火渡りの荒行も行われ、何でも日本三大護摩の一つだというが、他の二つは何処にあるのかは定かではない。山に囲まれた寺の境内ではさかんに火が焚かれ、まだ薄青い空に浮かんだ月に向かって火の粉が上がっていく。善男善女が本堂にお参りする中、火を囲んで山伏の風体をした男たちが般若心経を唱え、護摩札を火にくべていた。願い事を書いた護摩札を火の中に入れるのは密教の風習、「阿耨多羅三藐三菩提」と唱える声も聞こえてくる。護摩木という棒の先を火で炙り、先端を焦がしたものを田圃に突き刺すと、虫除けになるとも聞く。御利益を願って近郷近在から人が集まってくるが、若い人たちは屋台が楽しみらしい。和物ブームとかで、浴衣を着た女の子が多い。それはいいのだが、久しぶりに来てみると、露天商の数がめっきり減った。かつては参道を埋めつくしていた屋台が歯抜け状態なのはいかにもさみしい。景気が悪いせいだけならいいのだが。

 2003/7/6 音

めずらしく、昼を過ぎても、隣から「素人のど自慢」の鐘の音が聞こえてこない。表通りを行き交う車の他は音らしい音もしない。日曜日の昼下がりというのは、かくもおだやかな時間であったかと、あらためて気づいた。朝のうちから他家に嫁いだ娘の声が聞こえていたが、久しぶりに実家の母を訪ねて、外出に連れ出した模様。芝居見物か買い物か、めったに外にも出ない老人にとってはいい気晴らしだろう。夏になり、冷房嫌いの隣人は、こちらの家に面した窓を網戸にして、戸を開け放つ。日頃は孫夫婦が面倒を見ているが、耳の遠くなった年寄りの退屈しのぎはやはりTVしかない。二時間ドラマの再放送やクイズ番組と、見る番組が決まっているらしく、その時間になると突然、轟音がこちらの家に押し寄せてくる。そうなると、本を読んでいようが音楽を聴いていようが、すべてそこでやめ、時間の過ぎるのを待つほかはない。補聴器を買ってもらっていたのも、知っているが、すべての音域を拾うので、わずらわしいことはかねて聞いて知っている。もう、ずいぶん前から使わなくなり、その分TVの音量が大きくなった。昨日料金を集めにきた新聞屋がこちらの家の中に入っても聞こえてくる音に「すごい音ですね」と驚いていた。年寄りのわずかな楽しみを奪うわけにもいかず、なかなか苦情も言いにくい。それにしても、かつてラジオしか娯楽のなかったころ、家々から聞こえてくる音に、耳障りだと思ったことがない。何が変わったのだろうか。

 2003/7/5 朝令暮改

夏風邪を引いたのか、めずらしく腹の調子が悪い。薬といっしょに酒を飲んでいては治るものも治らないと思いつつ、つい手がのびてしまう。酒といえば、共産党の禁酒令は、取りやめになったそうである。仕事の帰りに友人と出会って、ちょっと一杯ということができないのだから、基本的人権の侵害にあたるのではないかと思ったくらいである。左利きの議員にとってはとりあえずの朗報、ほっとしたのではなかろうか。もっとも鉄の規律を誇る老舗の党だからできることだと感心もしていたのだけれど。それが、たった一日で「まちがいだった」と取り消されると、おいおい、ちょっと待て「共産党よ、おまえもか」と言いたくなる。政治家の言葉の重さが軽くなる中で、他党の政治家の論理の矛盾をつき、厳しく論理的に追求するところにこの党の真面目があった。綱領にはついていけないが、筋を通すところには一服の清涼剤的なものを感じてもいたのだ。その党にして、この失態である。たがというものは一度ゆるみ出すときりがないものらしい。この党が誤りを認めるのはめずらしいと、変な感心の仕方もされているが、朝令暮改では、値打ちが下がろう。

 2003/7/3 小人

作家の常盤心平が夕刊に友人の話を書いていた。「小人閑居して不善を為す」というが、その人は、なかなか酒がやめられないのだそうだ。思い当たることが当方にもある。小人なのだと、あらためて合点がいった。悪を為すのではない。せいぜいが善くないことをしてしまうくらいのところが小人の小人たる所以である。酒は体によくないと分かっていてもやめられないのがそれだ。ところが、この酒、人によっては悪事をはたらくよすがともなるらしい。共産党の代議士が酒席でセクハラに及んだとして、向後一切国会議員たるもの、自宅以外で酒を飲むことまかりならぬというお達しが委員長から出たらしい。もともと、あった規約らしいが、天皇制を認めるなど、ずいぶん共産党も丸くなったと思っていたが、やはり根っこは変わらぬものと見える。酒を飲んでも悪事をはたらかない人もいる。要は心がけの問題だなどというふやけたことをいわず、唯物論的に酒と人間の関係性に解決を見出すあたりが颯爽としている。当方のような小人であれば困惑することしきりだが、共産党の議員ともなれば、これくらいの規約は泰然自若として受け入れられるのだろう。近頃めずらしい即断解決ぶりであった。

 2003/7/2 誕生日

今日は誕生日。少し前までは、天皇誕生日の向こうを張って、自分の誕生日には仕事を休み、自分だけの休日にしてたものだ。ある年、やはり休みを取った翌朝、仕事に行くと、「昨日はなんで休んだの。プレゼントを渡そうと思ってたのに。」といわれ、わるいことをしたと思った。それからは、せっかくの思いつきだったけど、返上して仕事に出るようになった。でも、それ以来、職場でプレゼントをもらう回数は減った。最近では、誕生日というと、歳を聞かれるのがしゃくで、あまり公開していないから、また休んでもいいようなものだけど、以前のように休みに何かをしたいとか、どこかへ行きたいとかあまり思わなくなった。二日ある休日もほとんど家から出ないのでは、わざわざ休みを取る意味もない。そんなわけで、ふだんと同じように出勤したのだが、ふと思ったのは、いったい誕生日を祝う習慣はいつ頃からこの国に定着したのだろうかということだ。それほど古いことはないような気がするのだが。

 2003/7/1 キャサリン・ヘプバーン

キャサリン・ヘプバーンが死んだ。96歳だそうだ。リアルタイムで見たわけではない。TVで、それもかなり年をとってからの作品を見ただけだが、魅力的な女優だった。背筋をまっすぐ伸ばし、自尊心を高く保ち、自分の信念にしたがって相手が誰であろうと突き進む。それでいて時折見せる可愛らしさは、失礼ながらさほど美しいとも思えない彼女をとてもチャーミングに見せるのである。ハンフリー・ボガートと共演した『アフリカの女王』、それに、避暑地の恋を描いた名作『旅情』と、何度見返しても最後まで見続けてしまう。アメリカの女性の最良の部分を代表するような女優だった。謹んで冥福を祈りたいと思う。
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