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 2003/6/29 露台

西部劇を見ていると、大平原の一軒家にも必ずテラスがついていることに気づく。大男が小ぶりの揺り椅子に腰を下ろし、長靴のかかとを手摺にかけ、水がちょうど10ガロン入ることから、テンガロンハットと呼ばれる帽子を目深にかぶり、遙か遠くの地平なり山並みを見ている、どの映画にも必ずと言っていいほどそんな情景があった。あの、家の中でもなく、完全に外でもない曖昧な空間が好きで、家を建てる時、二階部分をオーバーハングにし、その下に小さいながら手摺付きのテラスを作った。そこに白い椅子を置き、朝夕の新聞などを読む。梅雨の間のわずかな晴れ間、湿気を含みながらも吹き抜ける風が心地よい。山にある小屋にもバルコニーを作った。せっかく小屋まで作ったのに、山にいる間中外に置いた椅子に腰掛けていることが多い。しばらく山にも行っていない。ササユリはもう咲いているだろうか。

 2003/6/24 整理

仕事をする上で与えられている部屋は古く、備え付けの棚やロッカーも使い勝手が悪い。定期的に異動させられる身の上では、自分の都合に合わせて何かを変えることも難しく、ついつい億劫になってしまいがちである。しかし、梅雨時に入り、雨で降り込められていると、目は自然に部屋の中のあちこちに止まり、気になるところがふえてきた。そこで、少し手を入れることにした。書棚の間隔を整え、収まりをよくし、雑然としていた書類その他の置き所を整理すると、なんだか部屋がこざっぱりした。こうして、手足を使うと、やる気というほどでもないが、何か仕事に対して前向きな感情が出てくるから不思議である。デスクワークが続くと、自分の中から生気が失われて行きつつあることをよく感じるが、それとちょうど正反対の感情である。何ほども続かないところが問題だが、時に身辺を整理をすることは心の健康に有益な気がする。

 2003/6/23 黄色い傘

おや、男の子の方はどうしたのだろう。毎朝、出勤途中の橋の上ですれちがう二人連れがいる。小学校三年生くらいの男の子と女の子だ。同級生なのか、兄弟なのか。いつも仲良く話ながら歩いてくるので、二人の姿を見るのが朝の楽しみになっていた。それが、どうしたのか、今日は男の子の姿が見えない。傘ごしに、後ろを見やる女の子の不安げな様子からは、男の子が遅れたのではないかと想像できるが、はっきりしたことは分からない。二人なら近い学校も、一人では急に遠く感じられるだろう。まして、今日は雨。バックミラー越しに小さくなってゆく黄色い傘に女の子の心細さが見えるような気がした。明日は、男の子も学校に出られるといいが。イラン映画を見ているような気にさせられる光景であった。

 2003/6/18 自由な時間 

何をする気も起きないというのではない。職場の事務的な仕事は次々とこなしていく。むしろ人よりはやいくらいだ。することが決まっていて、機械的にさばいていける作業など、むしろ楽しいと言ってもいい。問題は、そうして勤務時間を終え、自由に使える時間になったとき、ああ、あれがしたいとか、これがしたいとかあまり思わなくなったことの方にある。学生時代、試験中になると、次から次へとしたいことが頭に浮かんできて困ったことがある。試験が済むとぱたりとしたくなくなってしまうのもいつものことだった。ドストエフスキーが書いていたが、収容所の中でも、煉瓦積みの仕事が一段落すると、一歩下がってその出来映えを眺めずにはいられないのが人間というものらしい。何もしないでいられる時間を楽しむ程の器量がないのに、その境地を窺っているあたりに問題があるのかも知れない。

 2003/6/15 一周忌 

水をかけようにも墓石はすでに濡れていた。「えらい、若いうちに死なれたんですなあ。」墓石に彫られた享年を見て、神官めいた服装のその人は言った。たしかに周りの墓に彫られた享年よりは二十年ほど若いだろう。「食道癌でした。」と、夫人が答えたが、それ以前に下顎部に生じた癌で、その一部を失っている。工業高校の造船科を出た年、大きな造船所を敢えて蹴り、地元の造船所に入ったのは、自分の手で船を造ってみたいという野心があってのことだった。思惑通り、大手では高校出には回ってこないだろう大きな船の設計を担当し、海外出張までしていたが、思えばこの頃が花だった。折からの造船不況のあおりを受け、皮肉なことに中小規模の造船所はひとたまりもなく倒産した。造船所時代に通っていた食堂の娘と結婚し、調理場を任され、料理人として第二の人生を歩き出した矢先だった、病魔に取り憑かれたのは。近くに住んでいながら、めったに行き来もなかった。入退院を繰り返すたびに病院で話したのが二人の人生の中で一番長かったのは皮肉なことだ。「親父も癌だった。次はおまえだぞ」と、冗談交じりに言った嗄れ声が、今でも耳に残っている。

 2003/6/11 サッカー

今日は勝てるかと思ったけど、やはりだめだった。この間のアルゼンチン戦と比べれば、ボール回しはできていたが、どうして、日本のサッカーは前に出て行くことを躊躇するのだろう。マークされると、すぐあきらめて横か後ろへのパスを選択する。失敗してでも前に出ようとしないから、得点のチャンスが限られてしまう。今夜は、中村が入ったので、相手を抜いて、前へというプレイが少し見られたのでおもしろかったが。それにしても、先発11人のうち9人を入れ替えるという采配には首を傾げたくなる。なんとか局面を打開したい気持ちは分からぬでもないが、これだけ勝てないのは、監督の方に問題があると見るのが普通だろう。トルシエの時代には、協会からの不満がマスコミを通じて伝わってきたが、ジーコに交代してからは、それがあまりに少ない。相手が誰であろうと、是々非々の態度を貫けないものだろうか。力のある監督をほんとうに探して、その結果がジーコだったなら、仕方がないが、まずジーコありきという考えがあったような気がする。協会の意見を聞きたいものだ。

 2003/6/9 梅雨入り前

昨日は乾燥注意報が出ていたくらいの上天気だったのに、今日の空気の重さといったらない。湿気をたっぷり含んだ風が、じっとりと体に纏わりつくようだ。風が吹くので体感温度は低いのに、湿度のせいか、涼しい感じがしない。一面の緑と化した水田の向こうにあるはずの山を隠して灰色の壁のような空が立っている。九州方面は梅雨入りをしたとのこと。明日か明後日のうちには、このあたりも梅雨に入ることになろう。小さいころは、雨の日は雨の日で楽しかったことを覚えている。家の近くに木工所に勤める人たちの長屋があり、玄関前の通路を覆う長い屋根が雨を遮ってくれていた。雨の日は、そこに住む子と紙相撲などをして遊んだものだ。雨の続く季節ともなると、波板トタンを叩く雨の音と、作業場のかたすみに積まれた大鋸屑のにおいを思い出す。

 2003/6/8 桜桃

朝の食卓にさくらんぼが出た。深紅色をしたあのアメリカンチェリーではなく国産のまるで林檎のような赤と黄色をした桜桃である。口に入れると、仄かな酸味とともに思いがけない甘さが口中に広がった。アメリカンチェリーのこれでもかという甘さとはちがった自然な甘みながら、その大きさから考えれば充分な甘さが、なんだかうれしい。色、形とともに愛でるに値する季節の果実といえる。それにしても、花は言わずもがな、葉は塩漬けにされて桜餅を包み、実は桜桃として、樹皮は工芸品として珍重され、果ては、その散り際の様まで精神主義に利用される桜という木を思うと、愛されるというのもそれはそれで大変なことだという気がしてくる。荘子の言う荒野に生えた瘤だらけのねじまがった木の安穏さに比べた時、幸不幸のはかり難さというものを思う。
茎右往左往菓子器のさくらんぼ  虚子

 2003/6/5 帰宅時

日が長くなった。家に帰ってきても、日はまだ山の端から遠い。ドアノブを引くと扉の向こうでドアが開くのを待っていたニケが飛び出してくる。玄関先の煉瓦タイルの上で、まずは大きく伸びをし、やがてころっと横になる。生え替わったばかりの夏毛を煉瓦に擦りつけるようにしながら、右にころり、左にころり、最後はお腹を見せて仰向けになる。いくら飼い主がそばにいるからといって、外でこんな格好をされると、野生を忘れてしまったのかと、少々心配になる。大きく伸びすぎた燕麦のかろうじて残った葉っぱを食べ終わると、やっと落ち着いて通りを眺めている。わたしはといえば、左の眼で夕刊の記事を追いながら、右眼でニケを窺うのが日課。梅雨入り間近とはいえ、晴れた日の夕刻の世古風はすずしく、すぐに家の中に入るのが惜しいほど。雨の日は足が濡れるのを厭うのか、ドアの内側から、うらめしそうな目で外を見ているばかりで、一歩も出ようとしないニケである。天気のいい日くらい、こうして付きあってやりたいと思う。

 2003/6/4 ストレス

ニケのために夜中つけっぱなしにしている玄関灯が切れた。居間のシャンデリア球の予備をつけておいたのだが、今度は居間の方が切れてしまった。そうそうストックも置いてないので、いつもの店に買いに行った。生憎その口径の球だけが切れている。別の店に行っても、同じだった。本当は60Wのところだが、仕方なく40Wの物を買ってきた。もとのように玄関を40Wに、居間を60Wに付け替えたら、みょうに居間の灯りが明るすぎて落ち着かない。ストック用に買ってきた40Wの球に付け替えたらやっと落ち着いた。もともと壁灯の方は40Wだったのかも知れない。たかだか20Wの差が、気になるのだから神経質といわれても仕方がない。社会に出れば、自分の思うようにならないことの方が多くて当たり前である。気にしてないつもりでも無意識のうちにストレスもたまっているのだろう。けっこう気ままにやっているくせに、ストレスなどというと笑われそうだが、休日に感じる発条の弛む感じは、どうやらそこいらあたりに原因があるような気がする。

 2003/6/3 夜店

夜店がはじまった。小さいころは、親にせがんで、連れて行ってもらったものなのに、ある時期を過ぎると、まったく興味を失ってしまうものがある。商店街にたこ焼きやら金魚すくいの屋台が並ぶのは昔と変わらないものの、客層はすっかり様変わりしている。親子連れよりも、化粧した女子高校生や、奇抜な服装に決め込んだ男の子やら、大人と子どもの間の不安定な時期にいる世代が跋扈していた。当然のことながら、そうした青少年を悪の道から守る大人たちのパトロ−ルが強化されているのだろう、腕章を巻いた数人の大人たちが入れ替わり立ち替わり、通りを歩いているのには興が冷めた。灯りに寄ってくる蛾などかわいいものだ。アーケードができてから、照明が明るくなって、夜店の風情が消えた。カーバイドの匂いやアセチレンのランプのほのかな明かりに浮かび上がる露天商の顔にこそ定住をよしとしない人種の危険な香りを感じたものだが。

 2003/6/1 雲を見る

軒に沿って延びる電線が揺れている。低気圧に変わった台風の影響だろうか。強い風が窓を叩く。我が家は高台に立っている。北側は道路に向かって開かれているため、風の影響を受けやすい。台風が来るたびに屋根の上のアンテナを飛ばされたり、雨樋を引きちぎられたりした。数年前、屋根の補修はすませたので、しばらくは安心していられる。窓際のベッドに寝そべって、空を見上げていると、雲が西から東へすすんでいく速さが尋常ではない。見えない手が手繰り寄せているかのように、雲がちぎれては飛んでゆく。しばらくすると、厚かった雲の層が引き伸ばされ、鱗状に散らばってきた。雲の切れ目からは青空が透いている。寝そべったまま、空を見続けていると、動いているのは雲なのか、自分の方なのか分からなくなる。青空が広がった分だけ空は遠く、高くなった。今日も休みだ。
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