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 2003/4/25 霧

夜になって霧が出た。フォグランプのスイッチを入れる。めったに点けないので、たまにこういうことがあると、ちょっとうれしい気持ちになる。このあたりでは霧が出ることは稀で、ふだんは不必要な装備のようにも思うのだが、車というのは移動手段である。現に少し前までは、夏や冬になると、八ヶ岳方面によく車を走らせたものだ。霧の日はもちろん、雪の降りしきる中で山道を走ろうと思えば、フォグランプは必需品である。自分の行く手を照らすだけではない。フォグランプのオレンジがかった色は霧や雪の白色を透してよく見えるので、対向車の確認には最適なのだ。霧に包まれた道を走っていると、今走っているところがどこだかよく分からなくなる。今日のように視界がほとんどないと、よく知っている道でもまちがえそうになる。道しるべを見つけるまでのどきどきする気持ちは旅先ならではのもの。霧のせいでなんだか少し得したような気がするから不思議である。

 2003/4/21 潟

美しい季節が来た。冬の間あらわな枝を空に向かって突き出していた木々がいっせいに緑の薄衣を纏ったようだ。日を浴びた若葉の色は透けるような緑で、なんだか食べられそうな気がするほどみずみずしい。もう少したてば、緑も濃くなり、木の下陰も深くなる。しかし、今、若葉を透いた日の光はその下を通る少女の額に印象派風の光を点描するばかりだ。二、三日前までは田植機や苗を運ぶ軽トラックがさかんに行き来していた畦道にもひとかげはなく、田植えが終わったばかりで満々と水を湛えた田だけが、見わたすかぎりどこまでも広がっている。風が吹くたびにさざ波が空の雲を映した水面の上をわたってゆく。苗が育つまでのわずかな間だけのラグーン。この季節の農道を行くのが好きだ。特に夕暮れ。雲を割った日が水面に反射し眩くひかりかがやくえもいわれぬ一刻。

 2003/4/17 ニケ

帰ってきて着替えていると、ぼろぼろのかやねずみのぬいぐるみがベッドの上に転がっているのに気がついた。朝はなかったから、昼間ニケがくわえて上がってきたにちがいない。そのままここで眠っていたのだろう。遊び相手の二男が家を出てからというもの、ニケがはなれない。ソファに座れば膝の上に、トイレに立てばドアの前にと、行くところ行くところへとついて回る。就寝時には、後を追ってベッドにもぐりこんでくる。左手を枕にゴロゴロとひとしきりのどを鳴らすのだが、それが寝息にかわったかと思う間もなく、やおら起きあがり、布団の外に出てゆく。やはり、暑いのだろう。枕もとで丸まって寝ることが多いが、ベッドの足下で寝ることもある。午前4時を回ったころ、起きてきて、耳元で一声ニャと短く鳴く。起きろという催促である。眠い目をこすりながら、階下に下りると台所の煮干し置き場の前までつれてゆく。ひとつまみの煮干しを食べると、窓を開けて昧爽の風を浴びる。空が白み始めた頃、ようやく窓から下りてくれる。出勤前に一眠りしておこうとベッドにもどると、いつの間にか枕もとに来ている。そして、また左手を枕にゴロゴロの繰り返しである。ゆっくり相手をしてやれる休日が待ち遠しいこの頃である。

 2003/4/14 鴎 

しろかきの終わった田圃に鴎が何羽も来ては、なにやらついばんでいる様子。河口に近いせいだろうか。最近水を張り終わったばかりの田に生き物らしい生き物がいるとも思えないのだが、もしかしたらおたまじゃくしくらいはいるのかも知れない。農機具が音立てて動き回るのも知らぬふりで、悠々と羽を休ませている。あしもとは泥田に浸しているというのに、不思議に体にも翼にもしみひとつなく、時折思い立ったように飛び立つのだが、独特の翼が日の光を受けて輝く様は、他の鳥にない美しさである。早い田では田植えも始まった。いつまであのようにのんきに遊んでいられるのかは知らないが、しばらくは仕事の行き帰りに目を楽しませてくれることだろう。

 2003/4/12 退職

夕飯の食材を買いに行った先で、この四月で退職した知人にあった。歳は少し上だが、少し早めの退職である。少し前までは、定年退職後の再就職先を探すのに、みな苦労していたものだが、最近は少し風潮がかわってきた。定年まで勤めて、その後退職金と年金で生活していったとしても、何歳まで生きられるか保証があるわけでなし、それなら早い目にやめて、自分のしたいことができる時間を長くとろうと考える人が増えたからだろうか。不況下で企業の方も依願退職を喜ぶこともあり、退職を考える人にとっては、今年あたりが決断するいい機会だった。いつから仕事が金儲けの手段という位置に下落してしまったのだろう。他人事ではない。自分だけはそうはならないと思っていたのに、仕事を続ける意欲が以前ほど湧いてこない。仕事が生き甲斐という仕事人間も柄ではないが、仕事は生活のための方便と割り切ることもできかねる。好きなことをしていてそこそこ実入りがあり、人のためにもなるというのが自分の考えるいい仕事だったのだが。早めの退職をした知人は元気そうだった。いつまでも飛んでいられるものではない。失速する前に着陸地点を探しておくのが賢明だろう。

 2003/4/8 花祭り

4月8日は、花祭りの日。お釈迦様の誕生日である。小さい頃、祖母に手を引かれて近くにある大林寺を訪ねた。まだ学校に上がる前だったのだろう。午前の明るい日が本堂に面した階の上に置かれた黒っぽい小さな子どもの像の上に落ちていた。寺を訪れた人は小さな柄杓でその像に何かをかけていた。祖母が、あれは甘茶というものだと教えてくれた。右手を上に、左手を下にしているのはお釈迦様で、生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言った、その時の姿だとも。言葉の意味を聞いて、すごい子どももいるものだと思ったのを覚えている。まだまだ生活の中に仏教的な行事がとけ込んでいて、何かというと寺に行ったものだ。先代の住職が子ども好きで、よく幻灯や紙芝居をしてくれるのが一番のお目当てだったが、寺で何かがあると、この地方で「まぶし」という鰻丼が出るのがうれしくて、それをお相伴しに祖母について行ってたのかも知れない。祖母が死に、その住職が亡くなると、寺に行くこともなくなった。葬式仏教と陰口をきく人もあるが、昔は今とちがって、寺はもっと身近な場所だったように思う。

 2003/4/4 送別会

桜の花が咲きそろったと思うころ、毎年のように雨が降る。送別会の会場は、現天皇が皇太子時代に宿泊したこともあるという老舗の料理旅館であった。若い仲居の案内で二階に上がると、ふだんは客室として使われているらしい小部屋で、窓からは手入れの行き届いた庭園が見下ろせた。立石の間からは雨で水量の増した滝が音立てて流れ落ちており、もしここに泊まったら、夜半ともなれば、滝の水音が耳について眠れないのではないかとさえ思ったほどだ。小さな職場にとっては今年は大異動で、意に添わぬ異動もあったようだ。悲喜こもごもの挨拶は後半に至ると涙声も混じる。内田樹も書いていたが、仕事をする上で一番大事なのは、職場の人間関係の良いことである。和気藹々とした雰囲気は、仕事上のストレスを緩和してくれる。別れの宴というのは華やかであればあるだけ寂しさの度合いが増すもののようだ。ふだんはどちらかといえば薄情なほうだと思うが、この日ばかりは酒杯を重ね、感情のボルテージを上げておつきあいをする。二次会では酔った勢いかギターまで手に取った。ただ、個性的な面々は好む歌もそれぞれで、一緒に歌う曲が探せないのが惜しまれた。かつての送別会でみんなで肩を組んで歌った『旅人よ』を思い出した。いい時代に生きていたというべきか。「歌は世につれ世は歌につれ」という。歌は世につれるが、世は歌につれることはないと言った人がいる。皆がそれぞれ好きな歌を好きに歌う自由な世の中を有り難いと思う反面、みんなで同じ歌を歌う習慣をなくしたかに見える今の世の中をさびしく思うのは私ひとりではあるまい。

 2003/4/2 天草の桜

やわらかな春の雨をおびて、桜がぼおっと霞んでいる。雨にけぶる桜を見ていて、若いころ旅した天草の桜を思い出した。天草四郎の乱で有名な原城趾の桜を見終わって、僅かに残った石垣の道を歩いて集落のある方へ戻ると、その頃には雨も上がり、すっかり夕暮れの色に染まった村のバス通りには昔のままの信号機と遮断機が動き、その前では牧夫が牛を洗っていた。どこまでも温かく懐かしい風景に忘れられない旅情を感じたのだった。行く先々でこれと思った風景は撮影してきたものを、ヒッチハイクで乗せてもらった車の中に撮影済みのフィルムを忘れてしまい、この時の写真だけがアルバムの中にない。アルバムの中の写真は時経て褪色が目立つのに、記憶の中にある写真だけはいつまでも色が褪せることがない。皮肉といえば皮肉な話である。
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