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 2003/2/28 バースデーケーキ 

なんだか、もう眠くて起きていることができなくなってしまった。今夜は長男の誕生日。ケーキに詳しい職場の同僚にリサーチして、朝から予約を入れておいた。当日では無理かもと言われたが、電話をすると何とかなりそうということだった。今夜のメインディッシュはグリルチキン。長男の好物である。タイムやクローブを効かした鶏肉をグリルするのだが、途中で出てくる油を一手間かけて丁寧に取り除くことで表皮がぱりっと仕上がるのだ。ナイフを入れると音立てて切れる皮とジューシーな肉の柔らかさの対比が絶妙である。ケーキは季節の果物をトップと周囲に配置した生クリーム仕立てのシンプルなものだが、ナイフを入れると、中にも果物がふんだんに使われていてちょっとした驚きがあった。今の季節は苺だが、無花果の時も是非食べてみたいものだ。二男の誕生日もここで頼もうかと思っている。

 2003/2/26 大人

ずっと気にかかっていたことが解決し、ずいぶん気が楽になった。以前なら、待つということができず、深い考えもなしに、その場の怒りや憤りにまかせて声を荒げて怒鳴っていただろう。相手に非のあることは明らかなのだから、満座の中でその非を責めてもこちらに落ち度はない。それで自分の気は済んで、思い悩むこともなくすっきりした気分になれるのだ。ところが、近頃はそれができなくなってきた。歳のせいだろうか、たとえ、非は相手にあったとしても、叱責は相手の人格を傷つけ、周囲に与える影響も大きい。それを考えると、穏便な落としどころはないか、と手立てを考えるようになったのだ。相手の面子は立つようにしつつ、しかし非は認めさせなければならない。人と話をしているときはいいのだが、車を走らせたり、風呂に入ったりして、一人でいる間はああでもない、こうでもないと考え続けていた。俺はよくよく優柔不断な人間だ、と思えてきて、自分の決断力のなさにあきれもした。しかし、結果的にはそれがよかったのだろう。論理的に筋道を立てて諄々と説き、なおかつ情にも訴えながら、相手を追いつめることなく自分で自分の非に気づかせることができたのだから。ふだん、ストレスを感じないのは、周囲のことなど考えず、自分の思うように物を言っているからだということが少しずつ分かってきた。大人になるのもたいへんだ。

 2003/2/25 職場

昨年職場を変わった知人に久しぶりにばったり出会った。風の便りで、新しい職場になじんでないことを聞いていた。自分に何ができるわけでもないのだが、話を聞くことくらいはできる。日も傾きかけた道路脇で立ち話をすることになった。噂どおり、話相手もいないらしい。仕事もできるし、愛想もいい、普通ならまちがってもそんな境遇に陥るタイプではないのだが。もともと、不況下でもどんどん業績を上げている企業から今の仕事に転職してきたという経歴を持っている。まわりに気を配って決して突出しないことが、この手の職場で上手くやっていく秘訣だということを知っているのか知らないのか。そんなことに頓着せず自分のやり方を押し通すスタイルが反発を招いていることは傍目からはよく見える。それとなしに仄めかしてみても、どうやら聞く耳は持たないようだ。業績をあげている自分というものを疑うことを知らないからだ。話をしながら、自分の役回りに驚きを隠せない。ひと昔前なら、この科白は自分が聞く側だった。周囲の思惑などお構いなしにやりたいことをやって自分の評価を上げることを目指していた時代もあった。若い頃は周囲がそれを許しもするが、それ相応の年齢になればいつまでも我を通すこともできなくなる。いつのまにやら心にもない世知に長けた物言いをしている自分に気がついた。久しぶりに話を聞いてもらったと言って知人は風の中に去っていった。聞くだけでいいならどれだけでも聞くのだが、かつてはそれができなかった。少しは人の話も聞けるようになったかと思うと歳をとるのも悪くはないと、しみじみ思う。

 2003/2/24 骨折り損

長男が土産に持ってきたのは、何やらあやしげなボード。愛機の中に取り付ければ高スペックと化すというので、夕食後、早速コードを抜いたり、ラックを動かしたりして大騒ぎでコンピュータのカバーを外し、取り付けにかかったのだが、ない。いくら探してもPCスロットがないのだ。静電気の除去までしながら、何ともお粗末な話だが、そういえば、たしか購入の際に確認したスペック一覧の中にPCスロットの欄だけは空白だったような記憶がある。取り付ける場所がなければ、どんな高機能のボードであっても宝の持ち腐れ。せっかくの土産も落ち着き先を失い、もとの箱に収まってしまった。大山鳴動鼠一匹。外したカバーをもとあったように組み立て直し、コンピュータをラックの中に収めた。ま、だいぶたまっていた埃を取ることができたからよしとするか。

 2003/2/23 風まかせ 

それまでは階下にある息子の部屋で眠っては、上で寝ている私を起こしに来ていたニケが、二男がずっと家を空けていた時期に、上で一緒の布団で寝るようになった。知らぬ間にやってきては布団の上で寝ているので、動くと起こしてしまう。夜半にふと気づくと体の向きを変えることができず、腰が固まって痛くなってくる。まことに困ったものだが、朝方になると冷えるのか、爪を引っ込めた前肢で鼻先をちょんと突っつく。布団を少し上げてやると腕の中に滑り込んでくる。下顎を撫でてやるとぐるぐると気持ちよさそうにのどを鳴らす。長毛種ならではのなめらかな毛触りを通して暖かみがこちらの腕や胸に伝わり、何ともいえないぬくもりを感じるのだ。今朝も、そうして一緒に眠り込みそうになったとき突然気がついた。外には出ないニケだが、玄関前の煉瓦タイルと犬走りのコンクリートの上までは自分のテリトリーと思っているらしく、朝夕、新聞を取りに出そうな気配を見せると扉の前に座ってこちらを見上げて待っている。ドアを開けると、タイルの上に背中を擦りつけるようにして転げ回る。匂い付けをしているのだろうと思っていたが、この季節、付くのはニケの匂いばかりではない。湿り気のある土とはちがって、タイルやコンクリートの上は花粉だらけのはず。ニケの長い毛は転がるたびにそれをくっつけているのではないか。ここ数日洟をかむ回数が目立って増えてきているが、布団の中まで花粉を持ち込んでいては、症状がひどくなるのは当たり前だ。前回のこの欄で、杉の伐採を提言したが、敵をやっつける前に、まずは防衛努力を心がけるべきだった。とはいえ、ただでさえ聞く耳持たないわがまま者のニケに花粉の話をしても分かるはずもない。玄関前を吹き抜ける強い世古風が花粉を吹き飛ばしてくれるのをたよりにするしかないという点では国際情勢に身をまかせるだけの我が国の状態と同じである。ああ情けない。

 2003/2/19 花粉症

朝夕の通勤時に、日の光がまぶしくなってきた。太陽の角度が変わって、朝は早くから顔をのぞかせ、夕方にはいつまでも沈まなくなってきているからだ。そろそろサングラスをかけないといけないらしい。季節の変わり目は、他のことでも分かる。ここ二、三日、みょうに鼻がむずむずし、くしゃみがでたり、目がかゆくなったりする。予報では、今年の花粉の量は昨年の二倍から三倍だという。冗談ではない。毎年、毎年、増えていっているのではないだろうか。もうそろそろ、この病気ともおさらばしたいものだ。だいたい、本当に病気なのかどうか。第一原因が放置された杉林が多量にはき出す花粉なのだから、持ち主に責任がないわけはないだろう。安い輸入材を建築資材に使い出したことで、国産の杉や檜は高価すぎて買い手がつかず、山の持ち主が枝打ちや下草刈りのために山に入らなくなったあたりから目に見えてひどくなってきたのである。もともと、杉の山は落ち葉の堆積も落葉樹のように多くはなく、腐葉土の量も少ない。水の保全の観点からも、本来の植生に戻す方が自然を守るためにもよいのだ。何年かかってでも、少しずつ計画的に杉林を伐採し、雑木林に戻していくことだ。長期的な視野に立って、人工林を自然林に戻していくような政策がたてられないものだろうか。花粉症に悩む人の支持は得られると思うのだが。

 2003/2/16 運動不足

昨日読んだ『ロンド』の書評を書こうと、今日もまた一日書斎の机に向かい、パソコンの前に座っている。書き終わったのは午後五時。三時のお茶に下に降りたのをのぞけば、ずっと上に上がったきりである。夕食の材料をあつらえに行く車を運転する役目も、免許を取ったばかりの息子が代わってくれた。家の前の狭い世古をやすやすと抜けていったところを見ると、二週間の特訓の成果はしっかり身に付いているようだ。しかし、誰が読むというのでもない。役にも立たない文章を、あっちを削り、こっちに加筆しながらどうにか書き上げるために一日を費やしてしまうというのは、どう考えても間尺に合わない。ま、おおかた趣味というのはそういうものかもしれないが、同じ時間を潰しても、ゴルフなら運動にはなるだろう。一日座りっきりでも疲れはしないが、運動不足は免れない。そろそろ何か考えないと、本当に体に悪いのではないか。

 2003/2/13 類語大辞典

ブックリストに使っていた手帳の替紙(リフィル)が切れたので、行きつけの本屋に、文房具のコーナーがあったのを思い出して帰りに寄ってみた。残念ながら、カレンダーやアドレス帳はあるのだが、ブックリストは切れていた。本が読まれなくなって久しい。ブックリストなどつけている方が稀だろう。なくても不思議ではないのだが、困った。帰ろうとして、平積みの本の中に新聞広告で目にした類語辞典を見つけた。文章を書いていると、この表現は前にも使ったしなあ、と苦慮することがある。日常的にはさして語彙が乏しいとも思わないが、一つの文章の中に何度も同じ言葉が出てくるのはできたら避けたいもの。実際どれだけの働きをするかは未知数だが「類語大辞典」という響きは魅力的だ。辞書だけは、いつも手元に置いておきたい。引きたいときに図書館から借りてくるというわけにはいかないからだ。つい買ってしまってから、そういえば以前に「比喩辞典」というのも買ったなあと思い出した。著名な作品から様々な場合に用いる比喩をピックアップしたものだが、あまりにもオリジナリティーが強すぎて使い物にならなかった。フローベルではないが、辞典はは「紋切り型」に限るのかも知れない。類語大辞典は早速箱から出しカバーもとって臨戦態勢で机のブックエンドに挟まれている。役に立ってくれるといいのだが。因みに今一番世話になっているのはコンピュータに入れた「ハイブリッド新辞林」(三省堂)である。これは、バーゲンセールで手に入れたのだが実に使い勝手がいい。分厚い辞書をもう一度引く気になるかどうか。試練である。

 2003/2/11 外交

アメリカのイラク攻撃がいよいよ迫りつつある。しかし、ここに来てラムズフェルドの言う古いヨーロッパが反旗を翻し、トルコ防衛のためにNATOが協力することを独仏白耳義は反対しているとか。NATOの協力が得られなくとも、米英二カ国はイラク攻撃に踏み切るつもりでいる。どうしてそこまでして、イラクを攻撃したいのか、分かりづらいところだが、大義名分は別としてアメリカがイラクを攻撃したいのは石油の利権がらみであることは周知の事実である。フランスもまたイラクの石油をあてにしていることから、米仏は互いの利権を譲らず、今や冷戦状態である。 『シチリアの晩祷』を今日読み終えた。13世紀後半のヨーロッパも絶えざる戦火の中にあった。教皇派と皇帝派に分かれ、北はハンガリー、ボヘミアから南はチュニジアまで互いの思惑や利益に引きずられ、教皇を中心として王たちは政略結婚や密約、謀略に明け暮れていた。しかし、交通手段も通信も今とは比較にならない不便さの中で、外交努力に賭ける姿勢には驚かされる。戦争とは、まさに最後の外交手段なのだと改めて思い知らされた。おそらく現在も、表立って流されるニュースの陰できわどい交渉がなされているのだろうことは疑いを入れない。後に歴史として綴られるのは、そうした経緯であるはずだ。その時、極東の一国に触れた叙述は読めるものだろうか。

 2003/2/9 歴史

三寒四温とはよく言ったものだ。朝方こそ強い風が窓を揺すったものの気温は瞬く間に上昇し平均気温は平年より数度も高かった。妻は連休になると気がゆるむのかいつもの偏頭痛が出て一日伏せっている。洗濯や食事の時以外は書斎に籠もっているのは昨日と同じ。主人のゆっくりしているのを知って、ニケは何度も膝の上に乗りに来る。ニケを膝に乗せたまま『シチリアの晩祷』の続きを読む。13世紀後半の地中海世界の歴史に特別興味があるわけではない。けれども、出てくる地名や人名は、どこかで見たり聞いたりしたものであることが多い。ここ数年、夏になると訪れていた地中海沿岸諸国の見聞と重なるからだ。カニグズバーグも書いていたが、一度目にしたことをもう一度文章で味わったり、あらかじめ文章で読んだことを、実際にこの目で見たりすることの喜びは、ただその地を訪れたり、ただ文章を読むこととは比べものにならない。一度物語で目にした地名や一度訪れた土地の風物は、自分にとって見知ったものとなる。それはもはや自分の一部である。本を読むことは自分の中にある世界を再訪する試みでもある。それにしても、歴史が面白いというのはやはり年をとったのだろうか。

 2003/2/8  カニグズバーグ

終日読書。妻は仕事、息子は合宿中、ということで久しぶりの休日は猫と二人っきり。といっても、昼間はずっと寝たっきりのニケは何の相手にもならない。洗濯をすませると、書斎にこもり図書館から借りてきた未読の本に取りかかることにした。まず、スティーブ・ランシマン著『シチリアの晩祷』に取りかかった。13世紀後半の地中海世界の歴史という副題を持つ大著は、なかなかその標題の事件に到達しない。途中で一休みして、E・L・カニグズバーグの講演集『トーク・トーク』を手に取った。中身についてはREVIEWに紹介したので、別の話。カニグズバーグが対象としている子どもたちは「中年子ども(middle-aged child)」と言われる8歳から12歳。The MiddleAgesといえば中世のことである。この言葉からの類推で語られる中世についての話が面白かった。特にヘンリー二世の妃アキテーヌのエレアノールについての話。これは『誇り高き王妃』という作品になっているそうだ。また、図書館に探しに行かなければならない。

 2003/2/7 外出嫌い

暖かかったと思ったら急に寒くなったりして、天候に気を許すことができない。深夜、急に喉が痛くなって、すわ風邪かと思い、しばらく早く寝ることを試みている。自己治癒力というものがヒトにはあるらしく、風邪の引きはじめくらいだと、睡眠をしっかり取って休養することで、自然に回復するらしい。一説によると、食事を摂らず、胃腸を休めることで、より回復をはやめるという考え方もあるそうだ。インドのヨーガあたりの言いそうな健康法だが、ダイエットにもなる。最近の風邪は、それでなくても胃を荒らしたりして満足に食べることもままならない。いっそ、すすんで絶食するというのは賢いかも知れない。喉の痛みだが、流行が噂されている花粉症の前駆症状とも考えられる。寝ている裡に鼻から喉の方に水っ洟が流れ込んで喉を荒らしているとか。春の来るのは待ち遠しいが、また花粉症の季節かと思うと憂鬱になる。春は花粉症、夏は湿気と暑さ、冬は寒いのとインフルエンザのせいで外出するのが億劫になってきている。それでは秋はどうかといえば、この季節はどこへ行っても人出が多く、やはり苦手である。単に面倒臭がりなのだろうが、それらを言い訳にして、家に閉じこもっては本ばかり読んでいるものだから運動不足で肥り始めてきた。本気でダイエットを考えなくてはならないらしい。

 2003/2/4 帰去来

今日は立春。暦の上ではもう春である。おだやかな日射しに誘われ、おでんとおひたしという慎ましやかな午餐をしたためた後、ちょっと外に出てみた。おどろいた。昨日の風、今いずこという感じなのだ。風もなく、静かな空には刷毛で掃いたような雲が浮かび、もうすっかり春の気分。三寒四温という言葉もある。きっとまた寒い数日がぶり返すこともあるだろうが、季節は確実に春に向かって歩きはじめている。アメリカのスペース・シャトルの事故があったのもこの空の上である。悲惨な事故にもめげず宇宙開発を進めるアメリカに今朝の新聞は讃辞を述べていたが、その前日、査察衛星が北朝鮮の核施設の模様を撮影した写真を載せていたのも同じ紙面である。人類の宇宙への夢といえば聞こえがいいが、よその国の動向を空の上からのぞき見るのはあまりほめられた行為ではなかろう。何のための宇宙開発なのか、という視点をなくしては、死者もうかばれはしまい。宇宙でメダカの実験を試みる前に、稀少種と成り果てている小川のメダカについて思いめぐらせるほうが先ではないか。「帰りなんいざ。田園将に蕪れんとす。」という陶淵明の詩を思い出した。宇宙から地球を見た飛行士はその星の小ささを実感し、争いのむなしさを痛感したという。今一度、地球上に視線を向けるときではないか。

 2003/2/3 夕暮れ

日が長くなった。退社時刻に車に乗っても家に帰るまでライトを点けなくていい。かはたれ時の時間が長いのは何よりうれしい。堀口大学の詩にもある。
夕ぐれの時はよい時
かぎりなくやさしいひと時
仕事を終え、家路をたどる時間は緊張感がほぐれ出す気分のいい時間帯でもある。今日は月曜日、DJは萩原健太だ。ラヂオをつけるとカントリー調の曲が流れてきた。男性二人のデュエットだが、声に聞き覚えがある。次の曲は女性とのデュエット。曲に覚えがあった。ジェイムス・テーラーのアルバムに入っていた曲だ。テンポはちがうが、声の主も本人らしい。どうやらジェイムス・テーラーのデュエット曲の特集をしているようだ。弟や妹とのデュエットもいいが、アート・ガーファンクルとのデュエットは二人の声の質のちがいを超えて、絡まり合う旋律の妙が何ともいえない余韻を残す。しかし、なんといっても圧巻は僚友キャロル・キングと歌っている「you've got a friend(君の友達)」だろう。1971年、キャロル・キングのニュー・ヨーク凱旋公演時のライブ録音。車の中で一緒に歌っているうちに涙が出そうになった。曲が終わらないうちに家に着いたが、全部聴くまでは車から降りられない。エンジンを止めてもしばらくそのままでじっとしていた。

 2003/2/1 味噌

ずっと贔屓にしていた味噌屋がどうやら潰れてしまったらしい。はじめは樽詰めした味噌をトラックに積んで売り歩くいわば行商のようにして町内に現れたのだった。道端に車を止めては近くの家の戸を叩いて味噌の味見を勧めるという青森のりんご売りのようなやり方に不信感を抱いたのだが、味見をしてみるとなかなかいける。結構な値だったが、一樽買ってみることにした。赤味噌の風味が格別で、それからというもの、この味噌でなくてはならず、切れると電話で注文していたのだが。今回は電話の応対がいつもとちがってはじめからおかしかった。いつもの味噌が値が上がったからと言い、他の味噌をしきりに勧めるのだ。いつもの味噌でいいのだと伝え、配達されるのを待った。ところが、配達された味噌を見ると合わせ味噌になっている。電話をしても、いつの間にか通じなくなっている。後から考えてみると、倒産していながら残った味噌を処分していたのだろう。在庫品には限りがあるから、別の味噌を勧めるために嘘を言っていたにちがいない。商売なのだから、この時勢だ、倒産することもあるだろう。正直に言えばいいのだ。短いつきあいではない。最後に嫌な味が残った。「味噌をつける」というのはこういうことを言うのだ。
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