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 2002/12/30  『憂い顔の童子

ずっと、気にはなっていたのだが、読まないでいた小説を読んだ。大江健三郎の『憂い顔の童子』である。高校生の頃、図書館で、あのやたら派手な装丁の『万延元年のフットボール』を手にして以来、一時期を除いて、ずっと読んできている数少ない作家の一人だ。新潮社から出てた小さな版型の全集は、教科書の手前に隠して授業中にほとんど読んだ。中でも、『芽むしり仔撃ち』が好きだった。『厳粛な綱渡り』や『持続する志』などのエッセイ集は、自分で購った。デビュー当時は、まだ一三と名乗っていた伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読んだのも同じ頃だ。その颯爽としたスタイリストぶりに憧れてもいた。スパゲッティの食べ方から車の選び方まで、この人から学んだことは多い。その頃は、伊丹の妹と大江が結婚していることは知らなかったのだから奇妙な符合である。その伊丹の自殺には、めったに人の死になど関心を寄せないのに、週刊誌の記事まで読んで理由を知ろうとした。死に方があまりにも伊丹らしくなかったからだ。酒に酔った挙句サンダル履きの痕跡を残して死ぬなど、最も伊丹らしくない死に方である。過去に暴力団とのトラブルもあったから謀殺まで疑ったくらいだ。初老性の鬱による自殺というのがマスコミの下した判断だったが、大江はこれには納得がいかなかったらしい。『取り替え子』を書くことで、義兄の鎮魂を願ったのだろうが、それがまた、新たな詮索を生んだ。『憂い顔の童子』は、それを受けて書かれた言わば続編である。死の真相を知りたいと願って読んでも答えは得られない。答えを書くような作家ではない。それでも読んでみたのは、かつて少なからぬ影響を受けた二人の人物との再会を期待したからだ。滑稽な身振りの中に怒りを顕わにした一人の老作家は見つけることができたが、死者の声を聞くことは叶わなかった。ただ、大江の子である光さんが、伯父さん由来のスパゲッティの食べ方をするという一文に、胸がつまった。

 2002/12/28 大掃除 

今日は一階の大掃除をした。台所と食堂は妻が引き受けてくれたので居間と浴室を掃除することにした。居間のシャンデリアはクリスタルを模したガラスや陶器で作られた花などの飾りがくっついた見てる分にはきれいだが、掃除をするとなるとはたきがかけられず厄介なしろものである。毎年洗剤を薄めたぬるま湯に浸した雑巾で、硝子の火屋の一枚一枚をおっかなびっくりで拭いていく。うっすらと纏わりついたほこりや蜘蛛の糸を拭っていくと、また一年が無事に過ぎたことを実感する。ある年は、落語のテープを聞きながら拭いた記憶がある。たしか、あれは志ん生の「火焔太鼓」だった。妙なもので、暮れになると、伝統芸能が恋しくなる。今年は、妻と長男が車で出かけているので、一人静かに仕事をしている。四月から下宿生となる二男は、いつになく真剣に自分の部屋を片づけているようだ。おそらく、いつ帰ってきてもいいように部屋はそのままにしておくことになるだろう。久しぶりに長男が帰ってきて、賑やかな年の暮れだが、来年からは二人ともいなくなると思うと、やはりさびしい。大掃除ということで、ふだんなら捨てないものも思い切って捨てることになるが、今となればなぜこんなものをと思うものにも記憶は染み付いている。その割に残しておきたいものが年々少なくなってきている。背中に背負うものが軽くなっているのだろう。一年に一度、身辺を整理する機会があるというのは、なかなかすぐれたシステムかもしれない。そうでなければ、人は、あるとき、突然、自分の人生の変容に気づくことになる。それはきっと辛いことだと思う。

 2002/12/27 電動歯ブラシ

久しぶりに帰省した長男が土産にと持ってきたのは、ちょっとめずらしいラム酒だそうで、そう聞くと味見がしたくなる。グラスに少しだけ入れておそるおそる口で溶きほごしながら飲み下した。鼻に残るあまやかな香りは原料の砂糖黍からくるのだろうが、喉を降りていく感覚は、今、食道のどの位置かが目に見えるように分かるほどきつい酒である。二口目を飲んでから、今日が歯医者の日だったことを思い出した。量は知れているが、匂いが残る。診察もそうだが、車に乗るのもはばかられる。運動がてら、歩いていくことにした。なに距離は知れている。問題は寒さだ。皮ジャンの襟を立て、風の中を歩き出した。今日も雲がきれいだ。昼前に、正月用の食材を買い物に行ったとき、CMで見た電動歯ブラシを見つけた。物は試しと買ってきて、昼食後にそれで磨いたのだったが、いつもとはあたりが違ったのか、磨き残しを指摘されてしまった。この前ほめてくれてただけに、担当医もなんだか不審そうだった。いつもは、医者に行く直前、磨き直していたのだが、電動歯ブラシを過信して省略してしまったのが悪かった。たしかに、回転式で所謂歯磨きや、歯茎のマッサージにはいいのかもしれないが、愛用の毛先が細くカットされている物に比べれば、食べかすを掻き出す能力は劣るかもしれない。こういうふうにして不要な物がふえていく。『捨てる技術』どころではない。「増やさない技術」がまだまだ必要とされているのである。

 2002/12/26 掃除

ここ何日かの暖冬が嘘のように思える今日の冷え込みである。遠い山の木々までくっきり見えるのは空気が乾燥しているからか。近所の薬屋が建て替えるまでは、二階の窓から海が見えたものだが、ちょうど視界が妨げられ、今では見えなくなってしまった。その海のあるあたりに雲が低くたなびいている。西の方では沈んだばかりの日の名残が山の端近くの空を黄色く染めている。窓を開けているので冷たい空気が肺の奥まで入り込んでくる。ずっと先延ばしにしてきた掃除をやっとはじめたのだ。まず、二階から手をつけた。ふだんはあまり掃除をすることがない頭より上の部分にはほこりがたまっている。それを拭き取ってから掃除機をかけた。買ったときは高価な買い物をしたと思った北米製の掃除機は音の大きさには閉口するものの、吸引力は国産の比ではない。本体は今どきの物に比べればかなり重いが、吸い込み口の部分に回転式のブラシがついているので、自然に動いていく感じである。何より故障知らずで働き続けてくれるのがうれしい。問題は、こちらの目が悪くなったことで、以前なら見逃さなかったような小さなごみやほこりが隅の方に残っていることがある。近頃では、掃除一つするにも眼鏡が手放せない。まあ、天井を掃除するときなど、目にごみが入らないのは利点かもしれない。窓からの景色がいやにくっきりしていたのは、冬空のせいばかりではなかったのだ。

 2002/12/24 イブ

風もなくおだやかな暖かいイブである。子どもの頃はクリスマスが近づくと、なんだかわくわくしたものだが、近頃では、子どもも大きくなり、居間にツリーを飾ったり、玄関扉にリースを掛けたりすることもなくなった。以前、キリスト教国でもない日本で、クリスマスを祝う意味があるのかという議論がされたことがあったが、今では、聖書のどこにも12月24日がイエスの生まれた日であると書かれていないことも知ってしまっている。第一、中近東あたりに生まれたキリスト教と、レバノン杉ならいざ知らず、雪をいただいた樅の木がどう結びつくのか。もともとは北ヨーロッパの冬至を祝う祭りが、キリスト教に取り入れられたものだという。北ヨーロッパの暗く長い冬、春を待ちわびる人々の気持ちが、キリストの死と再生の教義と、冬が死に、春が生まれる季節とを結びつけたのだろう。さればこそ、クリスマスは雪におおわれた北の町にこそ似つかわしい。もっとも、冬至の頃に死と再生の祭儀を行うのは洋の東西を問わず、太古からの風習であった。瀬戸川猛資によれば、日本人が忠臣蔵が大好きなのも、同じ心性の働きである。師走も半ばを過ぎる頃から、我々は少しずつ死と再生の祭に参加しているのだ。してみれば、クリスマスが、日本に定着するのも無理はないわけである。歳の市の賑わいもまた日本風のカーニヴァルと考えればいいだろう。そう考えてみてはじめて、某テレビ局の大晦日の馬鹿騒ぎぶりが納得できるというものだ。

 2002/12/23 OFF

めずらしくいそがしく仕事をした所為か、その反動で、この三連休は完全に、ねじがゆるんでしまった。ゆっくり起きて、朝食を食べ、暖房のきいた部屋で、猫を膝に抱きながら、映画専門チャンネルで次々と流される映画をカウチ・ポテトしている状態である。仕事はしていても、そんなに頭を使っている気はしないのだけれど、知らないうちにねじは巻いているものらしい。あと、何時間したら、これこれをしなければならないという命令は、無意識のうちに自己を支配して、心身をコントロールしているのだろう。三日間というものはオフタイム。しかも年末である。自堕落に毎日を過ごしていた。そんな中で、営業の人たちは今年最後の仕事を取るために毎日動き回っているらしい。プレハブ大手のM社の屋根葺き替え工事が終わった後、本社から来たアンケートに、契約時に約束した床下の点検が済んでいない由を書き添えたら、すぐに、電話が来た。床鳴りがすることと、風呂の水栓のゆるみは別の業者が担当ということで、相次いでのご入来である。休みの時しかお相手できないので、折角のオフであるが、家にいなければならない。電話があったときは、さすがに最大手、顧客サービスをゆるがせにしないと感心したのであったが、点検が終われば、白蟻防除の工事にまた金がかかるという結果が待っていた。結果的には仕事を斡旋していたことになるわけで、割り切れない思いが残る。オフに遊んでいるものと、足で稼ぐものとの差がこういうところに出ているのだな、と教えられた次第であった。それにしても、築二十年を過ぎたプレハブ住宅は金食い虫である。忘年会の会場の太い梁が思い出される。機会があれば、今度は古民家を改築した家に住んでみたいものである。妻にそのことを告げると、「寒いと思うな」と、あっさり反対されてしまった。

 2002/12/21 上司 

地ビールで有名なビヤレストランは、古い醤油蔵を改装し、大正ロマン風の色合いに染め上げた洒落た内装で人気だった。料理の味もまずまずだったが、忘年会シーズンが災いして、注文した料理や酒が運ばれるのに時間がかかりすぎ、幹事としては気ばかり急いて、楽しむことができなかった。唯一面白かったのは、同業者の忘年会が同じ階の隣の席で開かれていたことだ。狭い町のこととて、隣のグループの上司が名うてのキャリアウーマンだということは顔も知らない者でも一度は噂を耳にしていた。男も顔負けの切れ者だが、厳しい人で、部下は息を潜めて毎日を過ごしていると風の便りに聞いた。実は、昔同じ職場で席を並べていたことがある。ガッツのある先輩で、弁も立った。若気の至りで遣り合ったことも何度かあったが、後に遺恨を残さないさっぱりした気性の人であったように覚えている。しかし、上司と部下という関係は同僚のそれとはおのずから異なる。できる人はそうでない者の気持ちは分からないのかもしれない。案の定、最初はにぎやかだった隣の席は、こちらの盛り上がりとは裏腹に、だんだん静かになっていった。それをいいことに、ふだんでもにぎやかな職場が悪乗りしてふざけだし、隣を挑発しだした。こちらの上司が謝りに行くほどの騒ぎように、向こうの客がこちらをのぞきに来た。一人二人と長居をし、ひとしきり愚痴ると帰っていった。噂の上司も顔を出し、見知った顔に気づくと昔と変わらぬ顔で挨拶をして帰っていった。何をさせてもできる人だが、人の心だけは思うようにできないのだなと思うと、考えさせられてしまった。人の上に立つということは考える以上に難しいことらしい。

 2002/12/20 冬の日

鯖雲というのだろうか。だんだらの横縞の雲が、すっかり葉を落とした疎林の向こうに広がっている。雲の割れ目から弱々しい冬の日が射している。林の裏には昔話に竜が棲むと伝えられる池がある。対岸に目をやると、木々の枝という枝が雪を積もらせていでもいるかのように真っ白に染まっている。前々から不思議だったが、先日、その正体を知った。鵜の糞である。どうして、きまった場所に糞をするのかはよく分からないが、昔住んでいた離れ島の断崖も、この季節になると鵜の糞で真っ白になった。漁のない日など、島の女たちは畑の肥やしにするために島の裏手にそそり立つ絶壁に攀じ登り「鵜の糞掻き」をする。やはり、島に住む人々の過酷な暮らしを映画にした『アラン島』という作品がある。島民は、海岸に流れ着く海藻を採ってきては岩の上に敷くことで、風雨に晒され、流出する土壌を保とうと必死だった。アラン島の女たちは、自分の夫や息子達が着るセーターを編むとき、その家に伝わる独特の模様を編みこむ。アラン編みとして知られるその編み方は、海で遭難したとき、遺体が損傷していても着衣で家族を見分けるためだったという。生成りの太番手、特に未脱脂の羊毛で編まれた物は、少々の水分ならはじき返してしまう。荒れ模様の北の海で漁をする男達の体温を守るための鎧のようなものであった。今ではフィッシャマンズニットと呼ばれ、冬の定番アイテムとなっている。今年もそろそろ袖を通す季節になった。

 2002/12/19 忘年会

師走である。仕事納めも近づいてきた。忘年会だクリスマスだとこのときばかりは不景気顔の巷も年に一度の賑わいを見せる。今年は幹事で、一月前に何軒かの店に予約を入れようとして、いっぱいだと断られた。そのときは、まだ忘年会など先のことだと思っていたからあわてた。それと同時に不思議でもあった。世の中不景気をかこっているというのに、年末ともなれば、やはり忘年会はいつもどおりに行われる。イラクもアフガニスタンも北朝鮮も、対岸の火事。イージス艦も教育基本法も高速道路も知ったことか。少し前の流行り歌にこんなのがあった。何かにかこつけて酒を飲む歌である。例えば、「12月は忘年会(クリスマスだったかもしれない)で酒が飲めるぞ。酒が飲める飲めるぞ。酒が飲めるぞ。」おそらく、この調子なんだろう。そして、嫌なことは忘年会で飲んでさっぱり忘れ、新しい気持ちで新年を迎えるというのが、この国のかたちである。嫌なことは忘れるというのは悪いやり方ではない。問題は、その嫌なことが起きた原因やその結果を放置しておいて、ただ忘れ去れば、また同じ嫌なことが起きる可能性が大であるということだ。嫌なことはさっぱり忘れ、また明日からがんばるという精神主義だけで解決できるほど、簡単な問題ばかりではない。たまった書類を片づけながら、こうして目に見えるものを片付けていくのはなんと快いことだろうと感じていた。

 2002/12/18 朝焼け

バックミラーに映る東の空がみごとに赤く染まっていた。「朝焼けは雨。夕焼けは晴れ」と、小さな頃から聞かされていた。毎朝、町の北に広がる海岸線に沿った国道を西から東へ走る。ここしばらくはきれいな雲の広がる冬空がつづいたが、今朝はめずらしい朝焼けだった。車の中に入れた傘の世話になるのかと思っていたら、仕事が終わって、帰る頃には目の前に月が上っていた。仕事は終わったが、ちょっとした会合が待っていた。かつては自分の思うことを伝えるのに夢中で、その場の様子を把握することができなかった。このごろのように黙って聞いていると、何が起きているのかはよく分かる。しかし、それだけである。手をこまねいて、どんどん悪化する事態の中にともに落ち込んでいくのは、まるで小船に乗ったまま大渦の中に飲まれていくのをはっきりとした意識で見続けているようなものだ。口を出さないのは、自分を古い水夫だと思うからだ。新しい船を今操るのは古い水夫ではないだろう。二進も三進もいかなくなり、古い水夫の手が必要になるまで、じゃがいもの皮でもむいていよう。そんなことを考えながら、会合を終えると、空には月が高く上っていた。明日は晴れるだろう。

 2002/12/17 停電

ニケのひげがくすぐったくて目を覚ましたら部屋が真っ暗だった。最初はつけっ放しにしている調光器つきスタンドの電球が切れたのかと思った。暗闇の中から声がした。「二時から六時まで停電だって、この前言ったでしょう。」騒いだ気はしないのだが、妻を起こしたらしい。ニケ用ホットカーペットも、停電では電気が切れてしまう。寒さと暗さで心細くなって起こしにきたのだろう。そういえば、外で人声がする。夜目にも白いニケの後をついて暗闇の中を手探りで階下に降りた。窓の外、通りの電信柱をライトが照らし、何人かの人が働いている。夜半の雨は止み、風の音がする。予告通りに作業をするのであれば、あの雨の中、電気工事をする予定だったのだろうか。日中、停電が続けば、会社や店は困るだろうが、冬の夜の雨の下での作業も大変だろう。しばらく窓の外を見ていたニケがいつものように膝に来て、喉を鳴らしながら眠り込んでしまうまで、ストーブの覚束ない明かりの中で起きていた。電気がなければ、本も読めず、テレビも見られない。現代生活がいかに電気にたよった生活をしているのか、その脆弱さをあらためて感じた夜だった。

 2002/12/16 ナンバー

前を走る車のナンバープレートが、みょうに下にはみ出ている。右と左には余分なスペースが空いているというのに。おそらく、ヨーロッパ向け仕様の車に日本のナンバーをつけているのだろう。どう見ても国産車なのに、なぜ、ナンバーの取り付け位置くらい、日本向けにしないのだろう。そうかと思うと、わざわざ、広いスペースを作っておきながら国内向け仕様のために額縁のような車体と同色の付属品を取り付けている車も見かける。車のデザイナーというのは、そんなにも適当なものなのだろうか。かつて、ジウジァーロは、自分のデザインしたピアッツァのドアミラーをいすゞが勝手にフェンダーミラーに変えたことに抗議したではないか。デザイナーたるものそれくらいの自負は持ちたいものだ。原因は、日本のナンバープレートが十年一日のごとく、上下二段の形式に固執していることにある。経済の領域ではさかんにグローバルスタンダードなどというくせに、世界中に車を輸出しておきながら、昔のままの日本製のナンバーにこだわる理由が分からない。俗説によると、ナンバーを取り扱う業者が、警察官僚の関係者であることが原因だという。どんな理由によるのかは知らないが、これだけ世界中の車が輸出入されているのだ。ナンバープレートのサイズくらい国際規格が採用されても不都合はないだろう。トヨタやホンダはなぜ文句を言わないのか。ユーザーから旧ナンバー支持の声が上がるとは思えないのだが。

 2002/12/15 小春日和

 風のない暖かい日である。なんとなく髪がうっとうしくなってきていたのだが、寒いこともあって、のびのびになっていた散髪に行った。床屋の話では、寒い日はやはり客足が悪いそうだ。
 リクエストしていた本が入ったので、図書館にも出かけた。ブラッドベリの久々の新作である。表紙の絵は、アダムズ・ファミリーを描いたチャールズ・アダムズ。幾つもの破風を持つ幽霊屋敷めいた館が海辺に立っている寒寒とした風景がいかにもそれらしい雰囲気を漂わせている。小説類を読むことが少なくなったが、ブラッドベリのように昔からの御贔屓は別だ。
 図書館からの帰りに新しい喫茶店が近所にできたのを見かけたので、昼食後、散歩がてらに妻を誘ってみた。墓地の横を通り過ぎると、道はそこで途切れる。新しくできた高速道路がかつての通学路を寸断しているのだ。このあたりでは珍しい急な階段を下りると、側道沿いの舗石道に出る。午後の日を背中に受けて道を歩くと、散髪したばかりの首筋のあたりが暖かい。喫茶店は開店したばかりなのか、行列ができていた。見たところ何の変哲もない喫茶店である。待つこともないと思って、そのまま散歩を続けた。
 高速道路ができるまでは、墓地から寺に続く寂れた道が竹林の中を通って下りてきていた。道の途切れた先には蒲の穂が水面から立ち並ぶ池があった。今では、その池もなく、急なコンクリート舗装の坂道が上の方に伸びていた。坂を上り詰めた先に大きな五輪塔が見えた。子ども時代によく遊んだ場所である。冬枯れの小道はあの頃と何も変わらないのに、一緒に遊んだ友達はみな遠くに行ってしまった。生まれ故郷にいるというのもなんだかさみしいものである。

 2002/12/13 がんばる

今日も歯医者だった。診療はほぼ終了し、今は、薬を入れているところである。その前にまず歯磨き具合のチェック。どきどきしながら、口を開ける。小さな丸い鏡が歯にあたるカチカチという音が頭の中に響く。「がんばってますね。きれいに磨けてます。」という言葉が返ってきた。その声にわずかながらはずむようなニュアンスが感じられた。担当医としては、自分の受け持ち患者が、医師の指示を的確に守って、歯のケアをしていることに満足感があるのだろう。たしかに、今度こそ、磨き残しのないように、今日は家で入念に歯磨きをしてきた。最小限の努力でまずまずの成果というのがモットーで、ふだん何かに「がんばる」ということをしない人間である。たしかに、一所懸命やればかなりの成果はあげられると思うのだが、それがどうした、とつい考えてしまうのだ。「がんばる」だけの価値のあることを見つけられない。「金もいらなきゃ、名誉もいらぬ。わたしゃも少し背がほしい。」という文句が売りの浪曲漫才があったが、背もほどほどあるので、ほしいものがみつからない。欲などはない方がよほどいい生き方だと思っている。しかし、である。そんな自分であっても、「がんばってますね。」と言われると、うれしいのだ。ひとはほめられることに対しては、よほどのつむじ曲がりでない限り、素直に喜びを感じるものらしい。「よし、次もしっかり磨いてくるぞ」と、決意したりしてしまうのである。

 2002/12/11 浴室暖房 

東急ハンズで買った郵便受けに近くの電気屋の広告が入っていた。浴室暖房の広告である。なんでも冬は、暖かい部屋から更衣室に入ると温度が急激に下がり、血圧が上がるので高年齢層には危険だとか。室温の急な変化を避けるために、更衣室や浴室の暖房をすすめる広告である。たしかに急に寒くなったので、風呂に入る前、服を脱ぐとき寒いなと思うことがある。浴室も冷えているから、一番風呂は寒いのはたしかである。しかし、温かい湯につかれば、寒かったことなど忘れてしまう。そうして、体の芯から温まるまでつかっていても、誰が文句を言うわけでもない。内風呂ならではのよさである。入ってすぐの寒さや、体を洗うときの寒さはたしかにあるが、それこそ贅沢というものだろう。あたたかい風呂に毎日入れる幸せをこそ感じるべきである。いつの間に、この国は、日々の生活に感謝することを忘れ、より安逸な暮らしをもとめるようになってしまったのだろうか。快適な生活を求めるのは人情というものだろう。それは分からないでもない。しかし、ものには限度というものがある。電気のもとは石油で、それには限りがある。原子力という将来に禍根を残すシステムを肯じえない限り、できるだけ電気は使わない生活を心がけたい。寒いからこそお湯のありがたみが分かる。浴室まで暖めずともと思うのである。

 2002/12/10 寒気団

シベリアから強い寒気団がやってきた。くっきりと晴れあがった上空は凛とした冬空である。地平近くには濃い青灰色の雪雲が低く層をなして浮かんでいる。水蒸気のない乾燥した空から降ってくる光は眩しく、スキー場のそれを思い出させた。しばらく行っていない八ヶ岳のすっかり葉を落とした雑木林を思い出した。ここらあたりの照葉樹林は真冬でも蝋質の葉をつけたままである。冬の森の明るさが恋しくなる季節だ。この冷え込みでは、山の方は雪が降っているにちがいない。人間の世界に何があろうと季節は巡り来る。不思議なもので、きりっとした寒さはこちらの体や気持ちをしゃんとさせる。風邪気味だったのがどこかへ行ってしまった。おおかた、寒さがゆるむと気もゆるんで、また引き込んだりするのだろう。話はまったく変わるが、出勤する途中の道で、今朝だけで三件の交通事故を目撃した。わずか数キロの間で、である。普通なら気があせるはずの渋滞の中で奇妙に落ち着いた気持ちで、こんなこともあるのだなと思っていられたのは、遅刻の報告が済んでいたことと無縁ではない。救急車が来ていたが、事故の報告も即座にできるようになったわけだ。妙なところで携帯電話の普及の意味に気づかされた。

 2002/12/9 ジョン・レノン 

車のラヂオからジョンの懐かしい声が流れてきた。そういえば、昨日は真珠湾攻撃のメモリアルデイというだけではなかった。ジョン・レノンの命日でもあったのだ。ビートルズの中で、誰が一番好きかというのは、若い頃からよく会話の話題に上った。ジョンとポールのどちらかを挙げる者が多かったように思う。ポールのメロディーラインの美しさに文句はないのだが、それだけでは何かが足りない。ビートルズが単なるポップミュージックのスターにとどまらず、社会現象にまでなったのはジョンの存在が大きかった。それは、解散後のジョンの足跡を見れば分かる。ヨーコに引っ張られている感じがなくもなかったが、ジョンはどんどんラディカルになっていった。メッセージ色を強めた歌は評価の分かれるところだが、『イマジン』だけは誰もが認める名曲だろう。個人的には、中学時代に見た映画『HELP!』で、アコースティックギターで歌う『悲しみをぶっ飛ばせ』が、お気に入りだ。丸眼鏡をかけたカリスマではないジョンがそこにいる。

 2002/12/8 風邪

風邪をひいてしまった。そう言いたいところだが、ほんとうは風邪という病気はなくて、喉の痛みや咳、また発熱や頭痛等の諸症状を総称して風邪というのだそうだ。また、寒くなったから風邪をひくのではなく、空気の乾燥がウィルスの繁殖に好都合だから、冬場に大流行するのだとも。理屈は知っていても、よんどころない事情(ニケのこと)で深夜や早朝に起きていてはどうしたって睡眠不足になりがちだ。抵抗力の落ちた体はウィルスの絶好の餌食となる。まず、喉が腫れ、唾液を飲み込むたびに違和感を感じる。次に鼻水が出る。やがて気管支をたどって肺に侵入したウィルスによって咳が出る。ちゃんと筋道をたどって自分の体が風邪に冒されていくのが手にとるように分かるのに、頭はなかなかそれを認めたがらない。それで、医者にも行かず薬も飲まずにいて、ついにやられてしまうのである。まるで、勝てる見込みのない戦争を始めておきながら、何の手も打たず戦線を拡大してしまう無能な指揮官ではないか。体も国も有機的なひとつのシステムである。身の程を知る必要がある。開戦の日にあたって自戒の念としたい。

 2002/12/5 左手

隣の席の上司がでケータイを左手で操作しているのを見て、「左利きだったんですか?」と訊いたら。「いや、右利きだよ」との返事。ではどうして、と重ねて問うとケータイはみんな左手で使うものだろう、という意味の言葉が返ってきた。そういえば、電話をかけるときは左手に受話器を持つ。メモを取るための筆記具を右手に持つからだ。ケータイを使いはじめてしばらくたつうちに、これが電話だということを忘れていた。文字を打ち込む頻度が高く、いつの間にかモバイルコンピュータのような気がし始めていたからだ。最近ではメモ代わりに使っている。はじめは左手に持ち、右手で操作していたのだが、慣れてくると片手になった。そこで、まちがえたのだ。持っている左手でなく、文字を打つ右手だけで持つ癖がついてしまっていた。そう言われて気をつけて見ていると、たしかにみんな左手で打っている。別にどちらでもいいような気もするが、なんとなく左手で打たなければいけないような気がしてくるから不思議だ。西欧では、長い間「右」が善や光と並べられるのに比べて「左」は、悪や闇と並べられてきた。古くはアリストテレスの対照表にまで遡る西欧独自の心性なのだろう。この国では左にそんな意味はない。せっかく慣れた右手だが、左手に席を譲ることになる日も近い気がする。

 2002/12/3 雑煮

「山の神」と言っても妻のことではない。農村に古くから残る信仰で田植えから稲刈りの間は「田の神」となって里に下りてきていた神様が、田圃での仕事も終え、冬のあいだは山にもどって「山の神」となる。その「山の神」に餅をついて供える行事があったとかで、丸餅のお裾分けにあずかった。早速お雑煮にして今朝いただいた。鶏肉と餅菜の他に八つ頭という里芋に似た芋を入れるのがここらあたりの風習であることは、今年の正月の掲示板に書いたような気がする。その八つ頭が昨今、店頭から消えたままである。栽培する農家がなくなったのだろうか。正月くらいしか食膳に上らないのだから、供給が途絶えても仕方がないのだが、ずっと続いていたものが消えるのは寂しいものだ。教育基本法の改定とかで、「愛国心」や「伝統文化の尊重」という項目が話題になっている。どちらも結構なお題目ではあるが、騒いでいる人たちは「田の神」に餅をついて供えたりしているのだろうか。店頭に上らなくなった郷土の野菜の行方を心配したりしているだろうか。郷土愛を通さない「愛国心」は胡散臭い。立派な神社に祀られている神様より、路傍の石に彫られた「山神」様に親しみを感じる。何も法律にしてもらわなくとも、庶民は郷土に昔から伝わる風習を今も大事にしているのである。

 2002/12/2 「他人と深く関わらないで生きるには」 

ニケ缶(猫用缶詰)を買いにペットショップに入ったら、いつもの女店員の代わりに、男性店員が一人、レジで無心に「ケータイ」でメールを打っていた。仕事中のはずだが彼の意識においては何かを買うまでは客ではないのだろう。その姿を見ているうちに新聞で見かけた新刊本のコピーを思い出した。本の名前は『他人と深く関わらずに生きるには』(池田清彦著、新潮社刊)という。まず、書名が興味を引いた。そうできればいいな、と思う気持ちがこちらの方にあるからだ。副題は、「真に自由な生き方とは?完全個人主義のための社会とは?」である。ますますもって面白い。自由も個人主義もずいぶん長い間つき合ってきたお気に入りのアイテムである。もっとも昨今不人気の傾向があるのは否定しないが。惹句が気が利いている。曰く「やりたくないボランティアはしない。」、「社会的なルールを過度に信用しない。」等々。中でも極め付きは「心を込めないで働く。」だろう。差詰めペットショップの青年は読む前から、この教えを実践しているわけだ。でも、ちょっと待てよ、と思った。世の中確実にそういう方向へと流れているではないか。だとすれば、この本はそんな時代潮流に乗れずに苦しんでいる人に、そのノウハウを伝授しようという啓蒙本なのかも知れない。多分買いはしないだろうが、書店で見かけたらちょっと読んでみたいと思った。

 2002/12/1 パールハーバー

昨夜、映画『パールハーバー』をTVで観た。映画館で観なかったことを差し引いても、前評判通りの作品で、見終わった後はちょっと力がぬけてしまった。これは、恋愛映画と戦争映画の二本の映画を一本にまとめたものととったほうがいいだろう。そしてそのいずれもが一般的な基準に達していない。恋愛映画というなら三角関係にある男女の心の葛藤が描き切れていない。特に二人の男に愛される女性の主体性のなさにはあきれる。一方戦争映画としてみたときは、特撮場面の派手さに比べて、戦争という事態における人間のドラマという面が稀薄である。随所に、同じ真珠湾攻撃を描いた『トラ、トラ、トラ』を引用しながら(司令官がゴルフ中に攻撃の知らせが来る場面や二人のパイロットが別の滑走路まで車で移動し戦闘機に乗り込む場面等々)、前作にあった諜報戦の緊迫感も踏襲できずに終わっている。かつて国策映画というものがあったが、これがディズニープロの制作であることを考えると、それに近いと考えてもいいのかも知れない。ディズニーランドを創り上げたウォルト・ディズニーの裏の顔は超のつくタカ派であった。『砲艦サン・パブロ』で、故スティーブ・マックィーンと組んで、若い中国人苦力を好演し、アカデミー賞にノミネートされた岩松マコが南雲中将と山本五十六を一人にまとめたかのような役で出演していたが、こういう映画に出てほしくはなかったと思うのは見る側の勝手な思い入れだろうか。
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